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美術館 > 刊行物 > HILL WIND > ひる・うぃんど(vol.31-40) > ひる・ういんど 第34号 宇宙の中で

宇宙の中で

元永定正

 

 どうして私たちは絵をかいたり、それを見て楽しんだりするのだろうか、なんて素朴な疑問が誰れでも頭をもたげるときがあるだろう。私はそんなときいつも頭の中に浮んでくるのはこの宇宙のことである。

 

 アメリカの宇宙学者カール・セーガンが宇宙は150億年の昔、大爆発をしてから膨張を続ける中で地球も生まれたといっているし、車椅子の天才科学者といわれているスティーヴン・W・ホーキングはブラックホールは完全に黒くないしすべてを吸い込んでしまうというブラックホールから一定の割合で放射と粒子を放出しているともいっている。

 

 科学の進歩と共に宇宙についても次々と新しい発見が発表されているのだが、無限に大きい宇宙のことなどほとんどゼロに近いくらいのほんの少ししか私たちの智覚では感じることが出来ないのだろう。

 

 しかしながら、おおげさに考えて見なくても私たち人類も他の植物や生物たちと同じようにまぎれもなく宇宙の中の産物である。だから芸術を考えるときも美なんてものを楽しむことが出来る人間の不思議さを考える上で宇宙のことが頭の中に出てくるのである。

 

 人類はむかしむかし猿のようだったそうだが、その前は何であったか、そしてその前は、その前はと時間を逆にのぼって行くとやはりあの150億年の昔に行ってしまう。そしてまたその前はどうなっていたのだろうかと思ってしまうのだがそこまで行くともう禅の世界もいいところで生物との関係のことなどとても結びつけて考えることは出来ないがそれでも生物が生れる因子がどこかにあったに違いない。

 

 そんな宇宙から太陽が生れ地球が生れたのはたしかなことだし地球に出来た水の原始の海から生物が生れて来たのである。

 

 ソ連邦の生化学者オパーリン博士は生命の起源について人類がもっとも下等な生物からながい進化の途をたどってきたように、もっとも下等な生物もまた物質がながい間かかってだんだん進化してできて来たといっている。

 

 海の中でいろいろな物質が混合されて出来て来た始めの生物のようなものをオランダの学者ブンゲンベルゲ・デ・ヨングはコアセルヴェート液滴と名付けたがこれから最も簡単な生物が生れて来たそうである。

 

 私はそれから進化してまだ何億年何十億年の生活感覚が私たちの細胞の中にもしみ込んでいると考えた。

 

 アミーバーのような生きものの生活でもまわりの景色が赤色であったり青色であったりしてそれが細胞に強いある種の影響があったりしたに違いないし現在でも人間に必要な酸素を提供する緑を見れば心が休まるのである。そんな様々な体験が長い時間のうちに進化を重ねた細胞によって美意識が生れたのではないかと考えた。

 

 美はどこから来るのかそれは何かと私は自問自答したあげく「オパーリン学説と具体美術」という小論を具体誌にかいたのはもう34年も前のことである。

 

 だから美のかたちは宇宙の出生でもあるわけでこれからもどの様な表現形体が出てくるかはかり知れない。美はこんなものであるといった固定観念を持っている人も多いだろう。が作家は、いや作家にかぎることはないが、そんなものに縛られてはいけないと思う。人に迷惑をかけない以上、制作は全く自由でなければ新しい世界は表現出来ないだろう。

 

 画家は誰でも傑作をめざして制作をするのは人情だろうが傑作は意識通りに 出来るものではない。まして自分の中の新しい世界が生まれていても自分では なかなか気がつかないときがある。そして又、傑作々々と考えすぎることは美の観念にとらわれることでもあるわけだ。だから私はこの頃駄作でもなんでも よいから気楽に制作をすることが一番いいことだと考えている。一番よいのは絵をかいているという意識さえ忘れてしまうのがベストではないかと思ったりするが、凡人にはなかなかそんな境地にはなれそうもない。

 

 いつだったか絵の具を流して制作をしていた頃の写真を見た外国人が私にあなたは火山や溶岩の流れを研究しているのですか、と聞かれたことがある。私の絵が溶岩の流れに見えたようだが、流れるということは引力が関係しているわけで絵の具を流すこととマグマが山の上から山麓に向かって流れることとは同じような現象になるのは当然のことだろう。しかし私は火山を意識したことは一度もないが、私の仕事はこのように自然の姿に重なりあうことがしばしばあるようだ。

 

 現在私の作品は私のすきな形を見つけてそのかたちを一つだけ大きくかいたり組合せたり並べて見たり、変化をつけたり、かたちの部分をさらに拡大したり、ある種の線といっしょにかいたり工夫をこらし乍ら作品をつくっているのだが、そのかたちがアミーバーに似ていたり顕微鏡で見た微生物のようであったり時には鉱物の結晶のかたちのようだったりまたその形の配列が原子核とそのまわりを廻る電子の関係のようだったりする。これはどうしてなのか、やはり私たち人間は宇宙が生れて来た時間だけのものが人間の中に一杯つまっていて作品をつくる場合、ブラックホールから何かが出てくるように細胞にしみ込んだ記憶が少しづつ出てくるようなものではないだろうか。

 

 人間は不思議なものだ。人間は宇宙そのもののような気がしてくる。私たちの中には自分でもわからない何かが無限に存在しているようである。

 

 そんなものを信じると心が昂揚するし私の知らない新しい私がまだまだあるようだ。自由に気楽にどんな作品がこれから生れるかわからないが平面に立体にその他様々な方法で貪欲に制作を続けて行きたいと思っている。

 

 それは又宇宙の変化とどこかで何かで密接に関連しているものではないだろうか。 

 

(もとなが さだまさ)

 

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