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ひる・とおく

 昭和初期には人生50年と言われていたが、今や80年時代である。それと並列して高齢化も進み人々のライフスタイルも変化している今日である。

 

 将来、人生設計を自らが如何してチャレンジすれば、日々の生活がエンジョイできるか自らが判断能力を保持することが大切ではなかろうか。近年、特に健康管理、労働時間短縮などが言われ、それに伴い余暇活用を有効的に運用するか人それぞれの考えを樹立すべきと思う。私自身、余暇利用を「心の旅」として西国三十三ヶ所巡りに挑戦することにした。

 

 信仰心の持たないものとしては、唯、風景、彿像、俳画などを鑑賞し楽しくリフレッシュできればの旅である。 昔から巡礼者といえば陣羽織風の上衣で身をまとい、杖とともに納経帳をもって各地の霊場を歩き巡って御慈悲を願うものである。

 

 最近はバスツアー或いは自家用車で詣でる人々が多い。

 

 昔の姿での参詣者は少なく何んとなく佗しさを感ずる。私も気楽な旅として自家用車で一番札所和歌山の那智山青岸渡寺に向い、巡礼の旅支度というべき御宝印軸と納経帳を整え順次、家内を同行しての霊場巡りの人となった。この旅は、ゆたりとしたもので時間的制約にとらわれず、無事に満願成就できれば良く、週休の土、日曜日を利用しての寺詣りで延ベ14日を要し、多い時で1日6寺を参詣し、西国三十三番札所巡礼の旅が終った。いま思えば道路に不案内で行きつ戻りつの旅廻りであった。

 

 西国三十三ヶ所で一番険しい所は、十一番札所の上醍醐寺で坂道ばかりで徒歩50分の道程で幾度も休憩し、擦違ふ人々に励まされつつ無事巡拝することが出来た。その反面、日本一の松で名高い二十番札所の善峰寺にある「遊龍の松」、3000坪の大庭園を誇る十番札所の三室戸寺ならびに各寺の観世音菩薩などに接し得たことこそ徳澤だと思う。巡礼こそ人のすべで現世の安穏と来世の善生を観音様に慈悲を願った心の旅かと云えるのではなかろうか。 

 

  次は、四国八十八番札所めぐりをめざして…  

 

(中村宮昭・次長)

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