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美術館 > 刊行物 > HILL WIND > ひる・うぃんど(vol.31-40) > ひる・ういんど 第33号 鹿子木孟郎の画題選択の一傾向

鹿子木孟郎の画題選択の一傾向

山梨絵美子

 

 1985年に発足した鹿子木孟郎調査委員会は、5年を経て、歿後50年「鹿子木孟郎展」として成果の一端を発表することができた。作業がひとつの節目を迎えるまでにこれだけの年月を要した理由に、作品、関係資料が散逸を免れて非常に多数残っていたということがある。一人の作家の研究をするためにはこれ以上望めないほどの資料が一括して伝えられていた。今日までの調査は、これらを守って来られた御遺族と、作業の場を提供された三重県立美術館の深い御理解とに多くを負っている。

 

 鹿子木孟郎調査委員会での作業は、残された資料、作品1点1点に名前をつけ、目録化することから始まった。画家自身のつけた画題の伝わる作品は少なく、此度の展覧会出品作の中にも、調査委員会によって与えられた作品名が多々ある。後世の命名は、いきおい、描かれている物を手がかりに、命名する時代に行なわれている分類に従って、ごく一般的な画題をあてはめる作業となる。

 

 こうしてつけられた画題が、展覧会場のキャプションに印刷されて鑑賞者の目に触れ、カタログにも掲載されて公的な様相を呈していくにつれ、それらが、画家自身によってつけられた画題と同じように一般に受け取られていくことに、一種の危惧に似た思いを抱く。ひとつには、鹿子木孟郎の滞欧書簡などを読み、作品の調査を進めていく中で、この画家の画題選択には画風の問題ともかかわる一定の傾向があるように思えてきたからである。

 

 鹿子木孟郎は、天龍寺の庭を描いた作品に「林泉」と題をつけ、妻春子の母で画家自身にとっては義母である人の肖像を「某未亡人の肖像」としたように、実際にモチーフとした人物や場所を1点に規定する固有名詞を画題とせず、モチーフに関連した、より一般的な命名を好んでいるように見受けられる。その例は、文展など公的な展覧会に出品した作品に多く認めることができる。フランスでサロン入選を果した「ノルマンデイーの浜」も、画家の自筆になる「イポール日記」には、「作ハ漁舟ノ前二漁夫網ヲ整フ其ノ婦来リテ物語ヲナス側ラニ小児二人ヲ加へ両親ノ物語ヲ聞カシム題シテ「静カサ」ト云フ時刻ヲ午後五時半頃ノ満潮時トナス天気ヲ曇天トナス」とあり、初めは「静かさ」と題されていた。それが、1908年のフランス芸術家協会サロンに出品する際には La Plage d’Yport(イポールの浜)と題され、同年第2回文展には「ノルマンヂーの濱邊」として出品されている。画家は、はじめ、主題として描きたい抽象的概念を画題に用い、後にそれを、描かれている具体的なものを示す名前、しかもまさに描かれている地点であるイポールの浜とし、後にさらに広い地域を表わす地名に改めた。そのような画題の変更が、鹿子木の作品の場合、作風に照らしてそれほどの無理を来たさない。「林泉」にしろ「ノルマンデイーの浜」にしろ、天龍寺の庭あるいはイポールの浜といった、それぞれの場所に固有の特徴ある景観が描かれ、絵だけからでもモチーフとなった場所を多くの人が言い当てることができる。画家は実景の名残りが見出せないほど実際の風景を離れて自分の絵画世界を自由につくり上げていくということをせず、あくまで現実にある対象の姿を尊重し、ある特定の時に見られる対象の表情に抽象的概念や情趣を認めようとする。先にあげた「イポール日記」に見られるように、画家は「ノルマンデイーの浜」に措きとどめる情景を午後5時半の満潮時、曇天とし、時刻、海の状態、天候を詳しく定めている。その時のノルマンディー地方イポールの浜の自然の表情によって「静かさ」を表現するのが画家の意図するところであった。この制作態度には、西洋の伝統的でアカデミックなコンポジションを重視する意識と、刻一刻変化する自然の表情、特に時刻、天候の違いによる光の状態への鋭敏な反応の双方が並存し、アカデミスムの要素と印象主義的要素がふたつながら流れこんでいる。また、19世紀後半にアカデミスムの新ししい方向を探り、抽象的な概念を同時代の風俗を借りて描き出そうとしたピュヴィス・ド・シャヴァンヌらによる試みが、ここでも行なわれている。

 

 制作に際して鹿子木が選ぶこのような立場は、画題の選択にも反映しているように思われる。画家自身によってつけられた画題の多くは、描かれているものと1対1で対応する固有名詞ではなく、具体的に存在する可視的なものを表わす名詞でありながら、複数のもの、あるいは広い範囲をさす言葉である。そのような画題は、画家が直接にモチーフとした特定の物自体に接したことのない鑑賞者に対しても、個々人の体験に自由にひきつけて作品の世界に親しむ余地を与える。「イポールの浜」という1地点を限定する画題から、「ノルマンディーの浜」というより広い範囲を表わす画題へと変更したことで、この作品を耳慣れない土地の風景と受けとめる鑑賞者は少なくなったはずである。イポールを知らなくても、ノルマンディーという言葉に何らかのイメージを思い浮かべる人はいるであろう。そして、同時に、この作品から描かれたのがイポールであるとわかる人々にとっては、伏せられた名前を密かに読み解く楽しみを通じて、作者に一層の親しみを持たせてくれる画題となっているにちがいない。それは、価値が多様化し、普遍性への懐疑が生まれた19世紀以後の世界にあって、できるだけ多くの人々の共感を誘う方法のひとつであったろう。

 

 既に画家が亡い現在、画家自身ならばどのような画題にしたかという問いに決定的な解答は与えられない。しかしながら、後世につけられた画題は画家自身の命名によるものと性格を異にする点を銘記し、画家自身による画題の選択について想像をめぐらすことも、作品とかかわる手がかりとなるであろう。そして、鹿子木孟郎の作品の場合、「ノルマンディーの浜」における「静かさ」のように、主題となった概念を探求することも、また、興味が深いように思われる。

 

(やまなし えみこ・東京国立文化財研究所研究員)

 

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林泉(天龍寺の庭)

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1910年(明治43)

某未亡人の肖像

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1912年(大正1)

ノルマンディーの浜

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1907年(明治40)

ノルマンディーの浜習作

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1907年(明治40)

ノルマンディーの浜習作

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1907年(明治40)

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