このページではjavascriptを使用しています。JavaScriptが無効なため一部の機能が動作しません。
動作させるためにはJavaScriptを有効にしてください。またはブラウザの機能をご利用ください。

サイト内検索

美術館 > 刊行物 > HILL WIND > ひる・うぃんど(vol.31-40) > ひる・うぃんど(vol32) 1990.9 川合三津夫 「ひる・とおく」

ひる・とおく

 「ちびまる子ちゃん」という人気のある漫画があります。私の家庭でも、子どもがテレビ番組を笑いながら見ています。でも、個人的な感情をなにもかも露骨にあらわし、しかもまだ不足なのか解説まで付けているのを見ると、子どもについ「こんな漫画はきらいだ」といってしまいます。まんがに嫌悪を感じているのではありません。私は「少年ジャンプ」の読者ですし、決しておろそかには出来ないと思っています。

 

 小説についても同じ気持ちを持ちます。あまりにも個人的な内容のいわゆる私小説も好きにはなれません。内容や感情が読み手によって、感じ方がちがってくると思いますし、その方が本を読むことにとって自然なことだと思います。

 

 美術館に来て絵画や彫刻などを見ることも、音楽を開くことも同じ事だと思います。作家や演奏者の、意図や作成した時の気持ちなど、自分なりに分かり、自分の感情と共感したときなどは、嬉しいときであれ悲しいときであれ、背筋がゾクゾクとします。

 

 私は、機械類にもそういう感情をもつことがあります。F104戦闘機の研ぎ澄まされた単純さや、C130輸送機の安心できる安定性や、自動車のトヨタ2000GTは、ドキドキするほど美しいと感じます。

 

 このように、何に対しても一人一人感じ取り方がちがってもいいと思っていますが、私の友達には、美術館に行こうとも思わないと言う人がいます。何故かと聞くと、「絵を見てどうなる」というのです。でもその人は、自然が好きですし、野菊を見て美しいと感じられる人なのです。個人個人様々な、何らかの感じ方があるとは思いますが、今私にとってどうすればその友人に美術館に行ってみようと言う気持ちを持たせられるか、太陽方式か北風方式か他にどんなやり方があるのかわかりませんが、勝つか負けるか楽しみです。

 

(川合三津夫 総務課長)

ページID:000055568