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美術館 > 刊行物 > HILL WIND > ひる・うぃんど(vol.31-40) > ひる・ういんど 第32号 ヴァン・ド・ヴェルド展出品作品より

ヴァン・ド・ヴェルド展出品作品より

土田真紀

 

 「もちろんこれらの芸術原理は以下の推測を許すことによって一つの限界を暗示してもいる。すなわち、個々のものに対して正しい輪郭や正しい構造、より正確にいえば最も理に適った輪郭や構造は一つしかないのでないかという推測である。したがって、私が様々なデザインのものをつくり続けるとすれば、それはこれまで一度も完璧につくったことがないという理由のみからであることを私は白状しなければならない。また仮に目標とされた完璧さに到達することがあったとしても、常に新しい大衆の要求によって私は新しいフォルムの探究を続けざるをえないであろう」。1897年にドイツの芸術雑誌 『パン』に発表した「現代家具の設計と製作についての一章」の最後のところでヴァン・ド・ヴェルドはこのように述べている。ヴァン・ド・ヴェルドのデザイン活動の軌跡を追うと、彼がいかに積極的に次々と新しいデザインを生み出し続けたかということの方がむしろ印象づけられるが、その中に幾つか、数年にわたって基本的なデザインを変えずに、繰り返し一つのデザインを用いた例があることがわかる。その一つが、この『パン』の論文の挿絵にも登場し、今回の「ヴァン・ド・ヴェルド展」にも出品された肘掛け椅子(cat.no.11,fig.1)である。

 

 寸法は高さ88cm、幅63cm、奥行き57cm、マホガニー製で背もたれと座の部分にはビロードの布が張られている。背もたれ、肘掛け、脚とすべての構成部材がゆるやかに湾曲した曲線を示している。椅子に掛かる力そのものを視覚化したようなこれらの曲線といい、構造といい、ヴァン・ド・ヴェルドが これより早く、自邸<ブルーメンウェルフ>のためにデザインしたきわめて簡素な椅子の延長線上にあり、恐らく、アール・ヌーヴォーの曲線よりも、 ヴァン・ド・ヴェルド自身が称えている船、橋脚、自動車、手押車などの単純かつ論理的な機構と結び付けて考えるべきものであろう。しかし曲線が必要以上に強調されているのは事実で、伝統的な素材である木との間に一種の葛藤がないわけではない。

 

 さて、このタイプの椅子が最初にデザインされたのは、ヴァン・ド・ヴェルドの全作品カタログでペヒャーが言うように、1895年、ビングの美術店<アール・ヌーヴオー>開店の展覧会に際してで、その直後に手掛けたブリュッセルの銀行家ビアールの住居にも同じ椅子が置かれている。背もたれと座にはウィリアム・モリスのデザインによる布地が張られ、背もたれの横木の両端に浮き彫りによる渦巻きの装飾が施されているのが当時の写真に認められるとペヒャーが指摘している(fig.2)。ところが、これよりやや遅れて手掛けられた、ビアールの息子エドガーのアントワープの住居に置かれた椅子では、背もたれと座は今回の出品作と同じビロード張りで、背もたれの渦巻きの装飾は失われている。さらに1899年の『ルビュ・ブランシュ』の編集室を初めとするインテリアに置かれたものになると、寸法が高さ110cm、幅90cm、奥行き83cmと一回り大きくなり、プロポーションもより安定したものとなっているのに加え、波形に持ち上がり、先端が丸く突き出た肘掛けがごく単純なデザインに替わっている。このタイプにも背もた・黷ニ座には幾つかのヴァリエーションが見られ、草のもの(fig.3)や、オランダの画家で、<二十人会>を通じてヴァン・ド・ヴェルドと交流のあったヨハン・トルン=プリッカーがデザインしたろうけつ染めの布を張ったものなどが現在残されている。ヴァン・ド・ヴェルドはこの単純化された大型のタイプを最終的な形と見なしていたと考えられ、1899年にベルリンで発行されたヴァン・ド・ヴェルド商会のビジネス・カタログに、Cat.no.4の婦人部屋用の椅子<マルキーズ>として掲載されている (fig.4)。先に触れた1897年の『パン』の記事の挿絵も肘掛けはこちらと同じである。今回の出品作はエドガー・ビアール邸のものに最も近く、カタログでは制作年が1898-1900年となっているが、肘掛けのデザインからいえば恐らく1896年以前と考えられる。

 

 以上のように、この椅子は、基本的なフォルムは不変ではあるものの、ディテールにおける単純化と寸法及びプロポーションの変更が後になされて完成したといえる。ここに見られる節度と均衡がほんの僅かの改変によって簡単に壊されてしまうものであることは、ペヒャーが掲載している同時代のコピーを見れば明らかである。そこには明らかにアール・ヌーヴォー的な過剰な曲線が見て取れるのであり、逆にいえば、ヴァン・ド・ヴェルドがいかにうまくその過剰を脱け出しているかを示している。

 

 冒頭の「現代家具の設計と製作についての一章」に戻るならば、この椅子はなかでも次の一節と関係が深い。「私は次のような認識のことを指しているのである。すなわち家具や各々のものは、壁や空中、すなわちそれぞれの背景に描き出す固有のシルエット以外に、そのシルエットにぴったり合った逆さまのフォルムを同時にこの背景に切り取るということ、そしてこのネガティヴなフォルムはものそのものと同じくらい重要で、ものの美しさについてより確実な判断を可能にするということである」。ヴァン・ド・ヴェルドによれば、ポジティヴなフォルムに対してネガティヴなフォルムがその美的価値を発揮することによって調和と明晰が得られ、家具やものは統一ある部屋の有機的組織として感じられるという。確かにこの椅子において彼は椅子の部材と部材がつくり出す一種の<間>というものに非常に注意を払っている。「ネガティヴなフォルム」という表現は家具デザインを語る言葉としては幾分奇妙に響くが、彼の画家としその歩みを考えればむしろ容易に理解可能であり、ゴーギャンやナビ派の影響の色濃い彼の絵画から導き出されたと推測される。部屋全体と個々の家具やもの、あるいは家具における部品同士の関係を語る際に彼はしばしば<有機的>という言葉をキーワードとして用いているが、そうした有機的な関係を生み出す方法を理論化する際に、絵画理論を一つの手掛かりとしていたことがここから窺えるのである。

 

(つちだ まき・学芸員)

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