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横山操の瀟湘八景

森本孝

 

 横山操は「独断する水墨」(『芸術新潮』242 1970年2月号)で、「一滴の墨は、水量を増せば増すほど、洋々たる大河を暗示する。独断をもって、この大河を断ち切るとき、墨水は、紙背をとおって地底に落ちて行く、水墨は作家の精神を、ギリギリまで追いこんで、心的表現へと導く。水墨は地を信じない」と水墨画について記している。西洋の思想を知り、個性確立を意識した横山操が希求したのは、西洋に対する東洋・日本の伝統を受け継ぐ日本絵画の独自性であった。洋画から出発して、日本画の顔料によって洋画的な表現を確立していた横山操が辿りついたところは、水墨による表現であり、ある一定の制約はあるとしても画家の創意によって造形する瀟湘八景の主題を追求することであった。

 

 広西省に源を発して北流し湖南省を縦断して洞庭湖に注ぐ湘水と、九疑山の方から流れる瀟水が湖南省零陵付近で合流する辺りを瀟湘といい、「瀟湘八景」は、この周辺の煙雲まつわる湿潤豊かな景色の中から、平沙落雁、遠浦帰帆、山市晴嵐、江天暮雪、洞庭秋月、瀟湘夜雨、烟寺晩鐘、漁村夕照という8つの主題を定めたもので、北宋の宋迪が創始したとされているが、もう少し遡って考えられる可能性もある。宋迪が「瀟湘秋図」や「八景図」を描いたことが「宋迪と瀟湘八景」(島田修二郎、『南画鑑賞』10−4、1941年)に記されており、洞庭湖を中心とする揚子江南側一体の美しい風景がこの頃から盛んに描かれたことが想像できる。詩が詠まれ、その文学的な題材が映像化されたのが瀟湘八景図であり、中国での発祥とは多少異なるかたちで日本では解釈され親しまれるようになる。1299年に来朝した一山一寧(1247−1317)の賛がある思堪筆「平沙落雁図」が存在しているので、この頃から日本でも制作されたのだろう。なかでも13世紀後半の禅僧であった牧谿、玉澗の「瀟湘八景図」が日本の画家に与えた影響は少なくなかったことと想像される。

 

 日本での瀟湘八景図の場合、時間や四季折々の風情が込められた雨雪煙靄と変化する水気と空気、あるいは風物が主題となって、古典にならいつつ、池大雅をはじめ数多くの画家それぞれが、想像力を駆使して様々な解釈によって詩趣溢れる水墨の世界を構築している。

 

 横山操の場合、「遠浦帰帆」の前景左の家並では大観、「瀟湘夜雨」の右隅に描かれた竹からは大雅の影響を窺うことができるなど、玉澗や大雅、そして大観を意識した部分も見受けられるが、東洋の伝統と対決する姿勢が横山操の「瀟湘八景」には漲っている。例えば「山市晴嵐」などにみせる水墨のたらしこみは、宗達、光琳が慣用した装飾的な方法ではなく、嵐のように激しい。東洋の水墨の伝統を学びながらも新しい実験も試みている。「横山操の瀟湘八景」(吉沢忠、『芸術新潮』163 1963年7月号)には、「ぴかぴかと油彩画のように光る焦墨は、こいにかわを用いたためだそうであり、遠浦帰帆で、うまく格子形に線がみえるのは、裏打ちの紙のつぎ目が紙をすかしてみえるためであって、横山はその効果を意識して用いたのだという。墨の上をペインティング・ナイフでひっかいたり、真にどうさをつよくひいたり、にかわのつよい淡墨で樹木を描き、まわりを濃墨でぬって、樹木のするどい線を生かしたり」したことが紹介されている。

 

 洋画の移入に伴って、誰かが行った仕事をやっても意味がないという西欧近代の思想が日本画の存続を脅かすことになる。「材料の違いがあるのみ」という菱田春草の考えは誤りであるとし、「材料の違いだけではなく、本質の相違だと思う。西洋の論理でもって、日本人が描こうというのは、おかしいと思う。日本人には日本人の論理があると思う。」(座談会:日本画の問題点をめぐって『芸術新潮』653 1959年9月号)と春草に猛烈に反論している。

 

 西洋とは異質である東洋の文化が歴史的に形成され、その結果として画材の違いとなったことを主張するもので、東洋に息づく根本を情熱を込めて探り、瀟湘八景を題材とする水墨画に東洋の理想的な世界を発見したのであろう。自然と人間との関わりは、東洋と西欧では異なっている、東洋における大自然の変化を楽しむという自然観照は西欧にはなく、孤り清閑を嗜む心境で、潤いに満ちた水気や空気、あるいは時間をモノクロームで表現しようという、画家の心象表現とさえいえる瀟湘八景の静寂な世界に魅力を感じたのだろう。大胆な構図のなかに、にじみ、たらしこみ、あるいは刷毛のかすれなど、考えられうる技法を駆使して、凄まじい力強さを感じさせる「瀟湘八景」には、横山操の人生観、画論が彷彿としている一方、伝統の重みを感じさせる作品でもある。

 

 近代の作品では、横山操の他、山市晴嵐、遠浦帰帆、漁村夕照、瀟湘夜雨、烟寺晩鐘、洞庭秋月、平沙落雁、江天暮雪の順に描いた橋本雅邦の「瀟湘八景図巻」(1903年、東京国立博物館蔵)、横山大観の東京国立博物館所蔵となっている1912年の作、大倉文化財団所蔵の1927年作、そして茨城県近代美術館所蔵の1916年作の3つのシリーズくらいしか知られていない。1927年の瀟湘八景は横長の水墨画であるが、他の2点は横長の画面が通例であるのに反して縦長の画面で、しかも墨ではなく、墨のような雰囲気を窺わせるような彩色による表現である。1912年の「瀟湘八景図」を大観が出品した第6回文展には、寺崎広業の「瀟湘八景図」、今村紫紅の「近江八景図」も出品されていた。伝統的な表現である広業に比して、夏目漱石が「呑気さ」「無雑作」といった言葉で賞賛しているように、横山大観の瀟湘八景は近代としての大観独自の新しい解釈によるもので、呑気さの裏側には大観の強勒な理念と感性を窺うことができる。こうした横山大観の精神は横山操の「瀟湘八景」に形を変えて蘇ったようである。

 

(もりもとたかし・普及課長)

 

横山操・横山大観の瀟湘八景と近代の日本画展(1990.4)

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