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バッサーノの兎 (承前*)

石崎 勝基

And if you go chasing rabbit

And you know you're going to fall

 

Jefferson Airplane

 

 

 <カナンヘの出発>という主題は、旧約聖書の創世記第12章にもとづいている(1)

 

 爰(ここ)にエホバ、アブラムに言たまひけるは汝の國を出で汝の親族に別れ汝の父の家を離れて我が汝に示さん其地に至れ我汝を大なる國民と成し汝をめぐみ汝の名を大ならしめん汝はさいはひの基となるべし 我は汝をめぐする者をめぐし汝を詛ふ者を詛はん天下の諸の宗族(やから)汝によりてさいはひを獲(えん)とアブラム乃ちエホバの自己に言たまひし言に従ひて出たりロト彼と共に行りアブラム はハランを出たる時七十五歳なりきアブラム其妻サライと其弟の子ロトおよび其集めたる總の所有とハランにて獲たる人衆を携へてカナンの地に往んとて出で遂にカナンの地に至れり(12.1−5)

 

「其集めたる總の所有」に、画面に描かれた羊や山羊、驢馬、犬、鶏、地面に転がる台所用具などを見てとることができる。右隅では駱駝の首がのぞく。ただし、一行に属すると見なすには兎の位置は離れすぎており、原典には登場しない野兎と考えるべきだろう。

 

 一次的典拠である創世記に兎が描かれる理由を見出せないとしても、創世記に取材した二次的なテクスト──伝説集、寓話、説教釈文の類に出典を求めうる可能性はある。僕には文献面について語る能力はないが、同じ主題を描いた作例をいくつか参照することができれば、<カナンヘの出発>という図像が、兎の登場をその一部とするような解釈をもって受けとめられてきたかいなかがわかるはずだ。ただし残念ながら、この主題が図像化された例はさほど多くないようで、レオーがあげるヴェロネーゼ(?)とヴァン・オルレイの作例は見ることができないでいる(2)

 

 ところで、バッサーノおよびバッサーノ工房は、この主題をくりかえし取りあげた模様で、ヤーナ・フラヴァーコヴァーが『プラハ国立美術館コレクション──ヨーロッパ絵画の500年』展カタログの作品解説に、ヴェネツィアのパラッツォ・ドゥカーレの作品、それにヤーコポの息子フランチェスコに帰されているウィーンの美術史美術館の蔵品をあげている(3)。ヴェネツィアの作品は未見、ウィーンのフランチェスコ作(fig.1)は、手もとの図版が小さくて、兎がいるかまではわからない。野外のひろがりのなかに、牛や羊のいる農村の風俗を描くという題材は、バッサーノ工房の得意とするレパートリーであったらしく、口実となる主題いかんにかかわらず、例がいくつか見出される。たまたま目についた『ヤコブの旅』(fig.2)をあげておこう。

 

 図像上でもあきらかにプラハの作品に近いこの作品の主題は、しかし、<アブラハムの旅>とするか<ヤコブの旅>とするかで異論があるのだが(4)、ともかく、兎の姿は認められない。

 

 主題の解釈に関しては、さらに、旧約聖書に記されたできごとに新約聖書において成就されることになる事象の予兆を読む、いわゆる予型論を留意しなければならない。この点では、先に触れた画面左下すみの三本の柱がヒントになる。柱三本に十字架を見ると強弁することが許されるのかどうかわからないが、そうすると絵解きを進めることができるのだ。赤子を差しだす女性と馬上の男性の組みは、ただちにイエス、マリア、ヨセフの聖家族を連想させる。その遠方への旅は、エジプト逃避と重ねあわせることができよう。

 

 彼らが後にした右端の廃墟は、没落しゆく異教世界、画面ほぼ中央にのぞく尖塔は、キリストの福音が成就する新エルサレムか。そして古き世界と新たな世界を、三本の柱が暗示する十字架が橋渡しする。以上の解釈が間違いではないとしても、<エジプト逃避>の図像に残念ながら、兎はつきものではない。ただ、エスコリアルにある伝ティツィアーノの件の主題の作品(fig.3)の右下には、二匹の兎が見える。後出の<兎の聖母>の図像と組みあわされたのだろう。

 

 話が穴だらけで恐縮だが、<カナンヘの出発>という主題の、一次的であれ二次的であれ典拠が兎の存在を説明してくれないとして、次に、当の主題と独立に兎そのものに付与される意味づけが、主題を強めるために採用された場合を考えることができる。ビアウォストッキ曰、「近代の評者は、今見ている絵画を初めから現実を描いた作品として扱っていいものかどうか、特殊な隠喩的な意味を探るべきなのかどうかを決定する確固とした手がかりがなく、戸惑うばかりである。・・・(中略)・・・最近のイコノグラフィ研究は、こうした絵画が隠された意味をたっぷり含み込んだものであり、1550年頃より以前には、絵に自然の単純な表現を見ることなど、極度に稀なことだった、ということを明らかにしている」(5)。本作品の制作年は不詳だが、1550年から遠くくだりはすまい。

 

 兎には、古くからさまざまな寓意がこめられてきたが、「キリスト教では、野ウサギは、多産や淫奔と同一視される。ところが、聖母マリアの足もとに置かれた白い野ウサギは、肉欲の克服を表す」という(6)。たとえばピエロ.ディ・コージモの『ウェヌス、マールスとアモール』(fig.4)の兎は、官能の女神ウェヌスの属性であろうし、<兎の聖母>の例としては、ルーヴルにあるティツィアーノの作品(fig.5)をあげておこう。ジョヴァンニ・ベルリーニの『聖ヒエロニムス』(fig.6)のくちづけする兎たちも、聖者が克服すべき官能を表わすものと考えられる。デューラーの銅版画『人類の堕落』(fig・7)では、アダムとエヴァの足もとに、猫、鹿、牛、それに後向きの兎が配されている。これらの動物は「『四体液』およびその倫理的含蓄の代表」であり、「大鹿は憂鬱質の陰気さ、うさぎは多血質の官能性、猫は胆汁質の惨忍性、牡牛は粘液質の鈍重さを表わ」す、対するに原罪以前の人間は、特定の性質に限定されていなかったという(7)。以上、ルネサンス期において、兎が多産・官能の寓意であったことを見てきたが、これを<カナンヘの出発>の主題に説得力をもって結びつけることは、しかし、できそうにないようだ。先の伝ティツイアーノ作の場合ほどにも、関連を読むには難がある。

 

 兎としての兎は、とりあえず、色と形からなる画面の外にある。画面の中にいるのは、兎そのものではなく、兎のイメージであるわけだ。だからというべきか、画面の外に、兎の意味づけを探してきた(穴だらけだが)。ところでもとより、絵が絵となる時、外と内とを、そんなに簡単に区別できるはずもない。外と内の区別を否定できるかどうかは別にしても、むしろだからこそ、外の内との相関を考えなければなるまい。とすれば参照すべきは、ゴンブリッチが「形式上の分析と図像学とに分割すると、ここでとり上げている領域はどうしても捉えられないであろう」とした(8)、たとえばマクシミリアン皇帝の祈祷書のためのデューラーの装飾で、枝や蔓、葉、さらに人の顔に変幻するペンの流れが描きだした兎ではないだろうか(fig.8)?(つづく

 

(いしざきかつもと・学芸員)

 

* ひる・ういんど no.22,1988,より

1.中谷伸生氏の御教示による。

 

2Reau, Louis. Iconographie de l'art chrétien, Tome U/1, Paris, 1956(Reprinted, Liechtenstein,1979), p.127.

 

3. 頁付けなし、cat.no.2

 

fig.1 フランチェスコ・バッサーノ 「祝福の地へのアブラハムの旅立ち」

fig.1 フランチェスコ・バッサーノ

「祝福の地へのアブラハムの旅立ち」 

 

575年頃 ウィーン、美術史美術館

 

 

fig.2 ヤーコポ・バッサーノ 「ヤコブの旅」

fig.2 ヤーコポ・バッサーノ 「ヤコブの旅」

「ヤコブの旅」 

 

1560年代 イギリス王室

 

 

4. Catalog of the exhibition The Genius of Venice. 1500-1600, Royal Academy of Arts, London, 1983, p.149, cat.no.8〈ヤコブの旅〉は、創世記31.17-21ないし46.1-7.

 

fig.3伝ティツィアーノ 「エジプト逃避中の休息」

fig.3伝ティツィアーノ

「エジプト逃避中の休息」

 

エスコリアル

 

 

5.「イコノグラフィ」、松枝到訳、『イコノゲネシス』、叢書ヒストリー・オヴ・アイディアズ22、平凡社 1987  所収、p.109-110.

 

6.ジーン・C・クーバー、『シンボリズム』、日下洋右・白井義昭訳、彩流社、1987、p.99.

 

fig.4ピエロ・ディ・コージモ 「ウェヌス、マールスとアモール」

fig.4ピエロ・ディ・コージモ

「ウェヌス、マールスとアモール」

 

西ベルリン、国立美術館

 

 

fig.5ティツィアーノ 「聖母カタリナ(兎の聖母子)」

fig.5ティツィアーノ

「聖母カタリナ(兎の聖母子)」

 

1530年 パリ、ルーブル美術館

 

 

fig.6ジョヴァンニ・ベルリーニ 「聖ヒエロニムス」

fig.6ジョヴァンニ・ベルリーニ

「聖ヒエロニムス」

 

1505年ワシントン、ナショナル、ギャラリー

 

 

fig.7デューラー 「人類の堕落」

fig.7デューラー

「人類の堕落」

 

1504年

 

 

7.パノフスキー、『アルブレヒト・デューラー』、中森義宗・清水忠訳、日貿出版社、1984、p.84.

 

8.『装飾芸術論』、白石和也訳、岩崎美術社、1989、p.485-486およびp.448-452.

 

fig.8デューラー 「『マクシミリアン皇帝の祈祷書』より(部分)」

fig.8デューラー

「『マクシミリアン皇帝の祈祷書』より(部分)」

 

1515年 ミュンヘン、バイエルン国立図書館

 

 
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