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古伊賀と銘

毛利伊知郎

 

 古来、わが国では、茶の湯で使われる器物などの工芸品に、その作品にちなむ風雅な愛称─銘をつける習わしがある。器物に銘を与えるこの習慣が、わが国でいつごろから行われるようになったのか、はっきりしたところはわからないが、室町時代後半にさかのぼることは間違いない。そして、この習慣は、その後もすたることなく、茶の湯を好む人々の間に、定着していく。

 

 銘からは、人々がその作品に寄せた親しみや愛情、またある場合には長い歴史の中でその作品がたどった運命をも知ることができる。美術の面で興味深いのは、銘と作品とをあわせ見ることにより、私たちの祖先がどのようにその作品をみていたか、作品のどのような造形的要素に着目していたかという、美意識の一端をうかがい知ることができるということである。

 

 こうした工芸品の命銘については、日本美術の他のジャンルでもしばしば認められる、見立ての問題が関係してくると思われる。命銘の際に働く意識の問題は、文化史的に、また工芸品を美術史的な文脈の中で語る上で、重要な意味を持っていると筆者には思われるのである。

 古くから伝世している美術作品について、鑑賞者(受け手)の視点を考慮した研究は、従来かならずしも多くはないが、工芸品の銘の問題は、鑑賞者がどのように作品を受容したかを考える上での一つの手がかりとなるように筆者には思われる。近世絵画研究において、しばしば取り上げられる見立ての問題が、制作者の意識とともに鑑賞者の視点を抜きにして語れないのと同様に、工芸品の銘についても、発注者あるいは制作者と鑑賞者(受け手)、双方の立場を考慮に入れて語る必要があろう。

 では、現在知られる様々な銘は、どのようにしてつけられてきたのだろうか。陶芸作品に限定すると、最も多い命銘の仕方は、作品の器形と、器表面の文様・景色によるものであろう。その他、作品の所蔵者、産地、来歴にまつわる故事などによって命銘される場合も少なくない。その際、古典的な和歌が引用されて、いわゆる歌銘とされることもしばしばある。また、今日では、既にその由来を明らかにできない銘もいくつか見いだされる。

 

 それでは、古伊賀の作品に与えられた銘に、他の産地の作品のそれとは異なる、特徴を認めることはできないだろうか。

 

 ここで注意されるのは、古伊賀の作品は、それらが盛んに制作されたと考えられている桃山時代から江戸時代前期にさかのぼる古い時期の銘が記された箱を伴うものが非常に少ないということである。これは、古伊賀の伝世を考える上で注目される問題の一つであるが、このことから、古伊賀の場合、江戸時代前期以前にさかのぼる古銘の少ない可能性が推測されるのである。銘のつけかたには時代による違いが予想されるので、命銘がなされた時期については一応注意を払っておく必要があると思われる。

 

 命銘された時期に違いがあることを考慮する必要があるにしても、古伊賀の作品と銘とを通覧すると、大雑把ながら、銘の多くは作品の器形に着目してつけられているといえそうである。奇抜な器形の多い古伊賀の場合、それは当然のことかもしれない。一方、器形とともに古伊賀の大きな特徴といわれる、焦げやビードロ釉などの景色に想を得た銘や所蔵者・来歴にちなむ銘は、むしろ少ないようである。また、古典の和歌を引用した歌銘がほとんどないのも、古伊賀の銘の特徴の一つである。ここで具体例を見ることにしよう。

 

 古伊賀の花生中、焦げやビードロ釉の流れが最も顕著な花生「銘 壽老人」(藤田美術館蔵)は、表千家六世原叟(1678−1730)による箱書をもつ。大きな二つの垂れ耳を持ち、裾広がりに形成された器の側面観が、古来、絵画化されることの多かった長頭短身の蕃老人(福禄寿)の姿を連想させることに由来すると考えるのが妥当であろうし、同銘の根津美術館蔵の花生(松平不味伝来)も、同様の着想による命銘であろう。

 

 また、「聖」と命銘された個人蔵の耳付花生は、中央部が細く絞り込まれ、そこに三角形の耳がつけられている。この耳と頭部と腰部の大きい器形が、両腕を腰に当てて立つ人物の姿のように見え、「聖」の銘は、この作品の形の特徴を実にうまくとらえたものといえよう。

 

 古伊賀の代表作の一つである水指「銘 破袋」(五島美術館蔵)の銘は、戦後になってつけられたもので、この作品本来のものではない。厳密に銘とはいえないが、この水指はかつて「大ひゞきれ」と呼ばれていた。この水指の添え状(古田織部筆・大正12年の関東大震災で消失)の中では、「大ひゞきれ」の語は、やや否定的な意味で使われているけれども、この作品にみられる大きなひび割れをそのままいかした造形が、古くから人々の目をひいたことは間違いない。また、現在の銘も、ひび割れに基づく銘である。

 

 一方、銘がつけられた時期は明らかではないが、香雪美術館蔵の花生「銘慶雲」は、確証はないものの、器表面の景色による命銘と考えられる。焦げやビードロ釉の流れを、太平の世、空に現れるという目出たい雲(慶雲)に見立てたのであろうか。

 

 この作品との関連で興味深いのは、ほとんど同じ姿形で「岩かど」の銘をもつ花生(個人蔵)があることである。この「岩かど」銘は、「慶雲」の場合とは違って、ものさびた印象を与えるが、その姿を堅固な石の戸にたとえたものと思われる。ほとんど同形の2作品に対して、異なった視点から、異なる性格の銘が与えられていて、これら二つの花生は、銘をつける際の命銘者の意識をうかがう上で、興味深い資料となっている。

 

 結論的なことを述べるには、さらに多くの作例を検討する必要があるが、釉のなだれに着目した銘の多い丹波や、絵付け文様に由来する銘の多い美濃(志野、織部など)の作品の場合とは明らかに異なる意識が古伊賀の命銘の際に働いているようだ。古伊賀の造形要素中、焼成中の偶然によるところが多い焦げやビードロ釉より、制作者や発注者たちの意志がより積極的に作用する器形が、古伊賀を最も強く特徴づけるものとして古くからみられてきたことのそれは一つのあかしとなろう。  

 

(もうり・いちろう・学芸員)

 

年報/古伊賀と桃山の陶芸展

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