1942(昭和17年) 油彩・キャンヴァス91.2×116.9cm
地面と平行に視線がまっすぐ抜ける場合とちがい、俯瞰する視点において目は、球面の内側をなぞるようにして、地面の起伏によりそいつつ進む。そのため、空間はあらかじめ与えられているのではなく、視線の進行が同時に空間の生成となる。地勢論的な視線とでもいえようか。 下辺中央から左にのぼる道にはじまり、やはり左上がりの水平線へと収斂するまで、右へ左へ、平坦と曲面、凸と凹が噛みあわさって地形が組み立てられている。視点の俯瞰ゆえ、目と画布におろされる手はへだたりを失ない、視線の動きはタッチと相即する。左の家屋を除いて輪郭はほとんどひかれず、細長いタッチはおもに草叢として地形にそいながら、視線であり事物であり空間でもある。タッチは横倒しになることが少ないので、画面の横長のひろがりに支えられるかぎりにおいて、画布をよじのぼるかのようだ。 この油絵は、画布の、白の地塗りを施された側ではなく、その裏面に描かれている。発色の艶消し(マット)な効果をめざしたものらしいが、北川にはこのような自家流のグラウンドづくりをした例が多いという。明度の高い線と青を主に、ところどころ白が加えられる。マットさと明度の高さは、色調が透過性そして深奥性を帯びるのをおさえ、空間を画布に即したものとしている。 タッチによる空間の生成を最終的に秩序づけるのは、水平線である。それが斜めなのは、おいたつひろがりを圧し潰さないためであろう。ただ、空の面積は広すぎて、見るものの目の位置をやや遠ざけてしまっているといえるかもしれない。 (石崎勝基・学芸員) |