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鹿子木孟郎(1874〜1941)「運河」

c.1916-17年 パステル・紙

 

 鹿子木孟郎が欧米に留学した時代、つまり1900年頃から第1次世界大戦にかけて(その間に彼は、みたびパリを訪れている)、パリは、はたしてヨーロッパの美術の都たりえたのだろうか。美術の集散地ではあっても、もはや発信地としての機能を失っていたのではなかろうか。『二十人会とベルギーの前衛美術運動:1868−1894』という論文のなかで、ジューン・ブロック女史は「ブリュッセルは二十人会と自由美学のおかげで、装飾美術の展覧会とその普及にとって重要な拠点となった。1880年以前ベルギーは、芸術上の刺激をいつもフランスに求めていた。1890年代までにその状況が逆転した事実は、二十人会という自由美学には、なによりの贈物であったろう。パリの雑誌『装飾美術』は1897年に、英国やベルギーによる輸出攻勢を危惧して、自国の芸術家を鼓舞している」(1981年U.M.I.)と述べるが、装飾美術のみならず逆転は絵画でも起きていたようだ。このパステル画は、鹿子木がフランスの画家ルネ・ナメールの影響を強く受けていた頃制作されたものだが、ナメールは自由美学の会員。世紀末象徴主義の漂う幻想的な風景画で知られた画家だ。画面に、クノップフの作品に通じる静かで冷たい空気を感じるのも、メナールがアマン=ジャンやシャルル・コッテらと組んでいたラ・バンド・ノワール(黒い一派)が、どこかでベルギー象徴主義とつながっていた事を裏付けているようである。

 

(荒屋鋪 透)

 

年報1989年度版:鹿子木孟郎 水彩・素描展

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