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O・K・A・D・Aの余白に

東 俊郎

 

 ある作品をおもいだす手がかりはかたちよりもまづ色彩、画布を空気の層のようにつつみこむ色のほうにあるのか。その色はまた光の函数なのだから、光がちがえばそれに影響されるぶんだけその当の絵をまえにみた記憶がうたがわしくなるという、かつて村上華岳の『夜桜』であじわった経験を、岡田謙三展をいくつかの会場でみつつふたたびかみしめた。

 

 記憶にあたらしいところで、たとえば『桜』という日本画仕立ての淡い色の作品は秋田でもあえたが、三重でみたときの、冷たくすがれて、繊細をとおりこしたちからの弱さをかんじさせたのと同一とはおもえない、あおい煙霞の層から桜の花ばなが浮きでていたし、『赤と青』の赤色はいかにもスペイン旅行の形見らしくとおい異国の色をひときわつよめる。逆にくまどりがきつすぎ、濃艶にながれたとみえる作品がでてくるのは道理で、ついでにいうと三重の会場をめぐりながら、これらはアメリカでならどうみえるんだろうとかんがえないでいられなかった。岡田夫人きみさんは、作品の色あいでそれを描いた場所がわかるといっていたけれど。

 

 ゆれうごいてやまない波があれば又そこにうつって変わらぬ空もある。岡田謙三ののこした作品ぜんたいにかんして、おのづと山と谷の地勢ができてゆくのは必至で、岡田からOKADAがうまれる五十年代の後半から六十年代初期に、ていねいで、すみずみまで神経がゆきとどいた、ゆたかで充実した意欲をかんじた。

 

 まづ、どこにも銀色などつかっていないのに『銀』(fig.1)と題された作品[おなじことはたとえば『黒と白』にもいえて、これもまったく黒がつかわれていない]などがそうだが、ここには、岡田を清潔がうりものの日本的な画家だという通念があるとしたら、それをうらぎるだけの或る種のきたなさがある。ひとつは、それぞれの色面が繊細でよくねった色でできているのと対照的な、その境界での、わざと無造作につくったといわんばかりの、或いはまだこれから手をいれそうな気配をのこした荒っぼいしあげぶりであり、もうひとつは、たれながされっぱなしの絵具の跡である。いっぽうその色面も『冬の際』(fig.2)などのように、刷毛やローラァでぬりつぶした無機的なのでない、一筆に一筆をくわえたはての自然なムラがいたるところにみられる。

 

 つまり岡田はとりわけこの時期において、表現的な性質のつよさ、マティエールのうごきをみせものにしている。アメリカの風景のように単調な画面におわっているのなら、いちどみれば充分かもしれないが、そうではない即興をはらんだこの時期の岡田の絵は、だから、みるたびに発見があるともいえてみあきないのだ。するとあの絵具のタレなども宗達のたらしこみの影響かどうかはさておき、絵がデザインになることを妨げて生命をあたえるための戦略ということか。そういえば、その当の絵にはまったくつかわれていない色が車窓の雨痕のようにとびちっている例がままあるが、あれも自然をよそおう熟慮のわざかもしれない。

 

 いったい抽象絵画にふみきった岡田におけるアルカイックの時代の絵でめだつのは、あるいは藤田嗣治じこみかもしれない色としての白で、たとえば『子孫』(fig.3)の全面をおおう白にしても、そのマティエールもふくめて、墨の五彩ならぬ六彩七彩に変幻する日だまりの淡雪をおもわせてくれたし、さきにあげた『冬の際』とか『平衡』や『英雄』(fig.4)の白も脳裡にやきついて、なかなかすてがたい。寒色系の色とともにこういうふうな白のつかいかたはとりわけこの時期に集中している。ともあれ岡田にとって目新しいばかりか、アメリカの、これもうまれたばかりの抽象絵画にあるはずもない感覚だった。

 

 ここで岡田がみつけだしたのが日本の色というなら、そのばあいもまづそういう抽象的な観念がさきにあってそれにみちびかれたのではない。そんなとおくよりも、もっと身ぢかの記憶のなかの色。ところで記憶の場を脳だけにかぎることはない。おもいだすというのは、夢のばあいもそうだが、その場でつくりだすことにほかならないし、そのときつくることは全身全霊をあげたしごととなる。そして誰かがこういうふうにつくらないと、つまりおもいださないかぎり歴史や伝統はありえず、しかもそういうときこそ、ひとが色をでなく、色のほうがひとを、というか画家の手をかりてみずからの欲望を表現するということがおこりがちだとしたら、それをみてこれはアメリカではない日本の色とおもう、この直感はだいじにしたほうがいい。だから岡田と日本の色とのかかわりも、いかにも論じやすい六十年代以降のものより、抽象絵画についてすこしは目鼻だちがととのい肩のちからもぬけたが、まだまだ初心のこの時期をこそかたるならかたるほうがいいということになる。だいいちここではまだ色が、いはばしる垂水のみづの早蕨のもえいづる春の色も同様にやわらかい。

 

 かたちについてもおなじことがいえる。『冬の際』でも『平衡』(fig.5)でも、そこにあらわれるかたちにはひとめでみてとれるのは書法というか筆法というのか。ちかごろ声高に引用とよばれてもてはやされているが、じつはふるくからある手法にすぎない。引用は自然につながらない。自然ということを尊重するひとにできるのは引用でなく変形だ。文字を構成するものから造形のちからをすっかりひきだしたあとはおしげもなくすててしまった。のこったのは空虚ではなく、むしろその逆で、ひとつの表現のかたちの裡に無数の表現されずに了つたかたちがたえず隙をうかがって、そのたたかいが絵に艶と張り、真剣と余裕をあたえている。いわばその「せぬところがおもしろ」い。

 

(ひがし・しゅんろう 三重県立美術館学芸員)

fig.1 『銀』1954-55

fig.1 『銀』1954-55

 

/> fig.2 『冬の際』1959

fig.2 『冬の際』1959

 

/> fig.3 『子孫』1959

fig.3 『子孫』1959

 

/> fig.4 『英雄』1959

fig.4 『英雄』1959

 

/> fig.5 『平衡』1959

fig.5 『平衡』1959

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