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曾我蕭白の見立趣向

山口泰弘

 

 虚婦既にすさみ放たれて、行く行く川辺に吟(さま)よふ。艶やかなりし顔も痩せかじけ、さにつら紅粉に笑ひ集めし半点の唇も、焦れ乾きて名残なし。蘆分小船に棹さす翁問うて云く。そもじは名にあふ富家の妻ならずや。何んが故に衰へ果てて斯に来れるぞや、虚婦が云わく。我が夫はかくれもなき高陽(のみすけ)なり。我がしばしばの諌めを用ひず。反つて疎まれ放たれたり。

 

 延享2年(1745)に大坂の書肆木野木市兵衝から『風狂文草』なる狂俳文集が上梓されるが、これはそのなかに収められた「虚婦の辞」と題された一文で、著者は田中友水子、大坂の町人学者で寛保から宝暦年間(1741−1764) にかけて俗間教導に活躍した著述家である。本書は、『文選』の部立てを踏襲したもので、「秋風辞」に擬した「春風辞」、「帰去来辞」に擬した「帰古来辞」など中国の古典名文のパロディーのアンソロジーである。引用した一文が、『楚辞』の「漁父の辞」をもじったものであることはいうまでもない。

 

 宝暦2年(1752)には、木野木と江戸の須原屋市兵衝から相版として再版本が出されているから、かなり好評を得たものらしい。

 

 ところで、この一文を読むと筆者は、曾我蕭白の「美人図」(図1)奈良 県立美術館蔵)を連想しないではいられない。

 

 「美人図」は蕭白の作品のなかでも、特異な魅力をもった作品である。と いうのは、水墨に練達した技をみせる蕭白のなかで、「群仙図辟風」「雪山童子図」などとともに数少ない濃彩の作品であることに加え、古典的主題の操作を特意にする蕭白にしてはほとんど例外的ともいえる当世風の美人を主題としているからである。

 

 しかしそうした反面、いかにも蕭白らしい特徴にもあふれている。それは、精神のたががはずれて放心したような狂おしい女性の異相である。この異相に、蕭白白身の内面の投影をみた人もいる。

 

 女性の顔貌や着衣には濃彩、着衣の柄および蘭は没骨のモノクロームと、対極の技法が駆使されている。

 

 画面には、ひとりの女性がなにやら不安げにゆらめく蘭の叢なかを歩む姿 が描かれる。体をしどけなくゆるく弓状にくねらせ、ややうつむき、左手を 袖のなかに隠す。懐月堂一派の美人図などでおなじみのポーズだが、蕭白のばあいその明るさ力強さはない。着衣も懐月堂の力強い筆線とは違う細く張りのない重たげな筆遣いで型取られ、裾からはみ出した下着の鮮烈な赤とともに、憔悴と狂気の淵にある女性の心理状態をいっそう強調している。 ところで、この女性の着衣は、和装にもかかわらず、中国風の意匠が凝らされているのが注意を惹く。緑色に塗彩された帯は金泥の中国風文様でくくられ同じく金泥の雲龍で装飾されているが、それ以上に着目したいのは着物である。青白色の地色に水墨で中国風の山水が描かれ、左袖口の、いましも橋を渡ろうとする騎馬人物にはじまり、滝景、落雁、船中人物など裾にかけて画景が展開する。

 

 このように着衣の中国的意匠、女性の憔悴と狂気、それに足下にゆらめく墨蘭の三つが、この作品を特徴づけている。

 

 (図2)は横山大観の描いた「屈原」(厳島神社蔵)である。高山樗牛と坪内逍遥のあいだで歴史画論争を巻き起こした問題作としてこの作品は近代美術 史上名高い。屈原は、中国戦国時代の楚の詩人。『楚辞』の筆者は彼に擬せられている。そのなかに収められた「漁父の辞」は冒頭に引用した友水子のパロディの本歌であった。大観の制作意図は、東京美術学校を追われた師の岡倉天心の悲愴な心境を屈原の悲歌に重ね合わせることにあったといわれている。

 

 大観は「屈原」を描くに当たって、いくつかの象徴的なモチーフを用いた。 荒れ狂う風は屈原の悲愴な内面感情を、風にざわめく叢の陰に隠れる鴆には讒佞を、背後から屈原を上目使いに見る燕雀には小心さを象徴させた。屈原は右手に蘭を持つが、屈原に蘭を組み合わせるのは大観の独創ではない。というのは、蘭はほかならぬ屈原自身が『楚辞』のなかで高潔な君子の誓えとして詠み、以来蘭は屈原の高潔な気性をあらわす象徴物とみなされるようになったからである。大観もこうした伝統に従ったわけである。

 この蘭は、大観の「屈原」と蕭白の「美人図」を結ぶ共通のモチーフである。かたや手に持ち、かたや足下に賦すという違いはあるにしても、濃彩で描かれた主モチーフに墨蘭を賦すという大胆な技法的アンバランスを敢えて冒した蕭白の意図は、技を誇示する以上にこの美人の素性を暗示する意味づけにあったとみなすことができる。だとすれば、和風着衣の中国風水墨山水による意匠も単なる異種配合の面白さを狙ったというだけではなく、この美人の置かれたシチュエーションが「漁父の辞」の舞台つまり中国の山水と関連をもつことを暗示するための機知と考えることができる。

 

 では、なぜ女性として描かれているのだろうか。

 

 これは、見立の操作が加えられているとみなせば、理解は容易になろう。この、和歌の本歌取りにも似た趣向は浮世絵の世界では頻繁に行われた。浮世絵の場合一般に、古典文学や説話類に題材を得ながら、登場人物や場景の設定を当世風俗に移しかえて描く。画家は翻案の機知を競い、鑑賞者は絵解を楽しむという趣向である。

 

 冒頭に引用した「虚婦の辞」は屈原を当世の美人に移した文学上の見立である。蕭白が直接「虚婦の辞」にテクストを得たかどうかという問題、また、屈原の当世美人見立という解釈の正否決論を求めることはひとまず擱きたいが、この、美人というにはあまりに異相の女性がいったい誰なのか、ひいてはこの作品の主題が何か、これは関心を呼ぶ問題であるらしい。お夏狂乱の場面に擬する説、謡曲に発想源を求める説(1)などがすでに提出さているが、あらたな一説として屈原見立説を加えることはできないだろうか(2)

 

 蕭白としては異色のジャンルに属することで着目されるこの美人図は、このようにみると、春信などがさかんに用いた江戸時代の市民芸術特有の鑑賞形式を共有している点でも、蕭白の画家としての発想の振幅の意外な広さや同時代性など、蕭白像にあらたな視点を迫る格好の材料といえるかもしれないのである。

 

(やまぐちやすひろ・学芸員)

図1 曾我蕭白「美人図」

図1 曾我蕭白「美人図」

図2 横山大観「屈原」

図2 横山大観「屈原」

(注)

(1)林進氏説。昨年京都で催された上方見立楽会での口頭発表。蕭白の複数の作品を取り上げて、謡曲との主題上の関連が指摘された。この作品については、『藍染川』 を描いたものとされる。

 

(2)上方見立楽会の席上でも、この作品の屈原見立の問題が話題になった。

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