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向井良吉展偶感

毛利伊知郎

 

 向井良吉の40年以上に及ぶ長い彫刻人生は、常に、それまで誰も試みなかった彫刻の形を求めることについやされてきたといってもよいだろう。

 

 本格的なデビュー作となった「アフリカの木」や、国際的にも高い評価を得た1960年代の「蟻の城」、その後の昆虫や楽器の連作、あるいは80年代半ばの白銅による都市シリーズ、梱包用パッキングを原型の素材として用いた最近作等々、素材は勿論のこと、それぞれ形態や空間構成を異にしている。

さらに、最新作の「春・暁に翔沈む」(1989、第44回行動展出品作)では、木の枝と果物の形をモチーフに、前作とはまたも異って、左右に広がる、新しい構成の形態が生み出されている。

 

 

 向井良吉には、作品制作に当たって、一つのスタイルを継続するというより、制作の都度、白紙の状態に戻ってその時々の心情や関心に応じて、常に新しい形を生み出そうとする意識が強く働いている。そうした意識が、年代によって大きく異なるスタイルの作品となって現れるのであろう。また、プラスチックや新合金など新しい素材の使用も、こうした意識の現れの一つと見ることができよう。

 

 こうした制作の在り方について作家自身による積極的な説明はないけれども、このことに関連すると思われるのが、「私には、(制作の)システムがない」といった趣旨の向井の言葉である。

 

 たしかに、向井良吉の場合、鋳造という制作方法は多くの作品に共通し、制作時期が異なっても、その作品の多くが鋳造の技術・特性を活かして作られていることは一貫しているが、初期から現在までの作品に通じる視覚的なモチーフやフォルムを見いだすことは困難である。

 

 しかし、そうはいっても、制作の基礎をなして、たとえ無意識のものであっても、一貫して流れる何らかのシステムは、作者の内面にあるはずである。

 

 向井良吉の作品が語られる時、ラバウルでの戦中・戦後の過酷な体験が、その基層をなすものとしてしばしば引かれる。たしかに、この彫刻家と戦争体験とを、切り離して考えることはできない。また、それと無関係ではないが、社会や人生などに対する、悲観的な思い、あるいは懐疑心も、この彫刻家には強くある。しかし、より直接的に、視覚的な意味で作品の形と関係する何かがあるように思われる。

 

 向井良吉は、作品制作過程で、かなり長い時間をかけて形の構想をねるという。また、他の作家のように、作品制作の前段階となる下図的なデッサンの類は、ほとんど制作しないという(デッサンを描いても、それは本当にラフなスケッチであるという)。

 

 制作過程において、内省的な思索を積み重ね、作品の一部となる幾つかの原型のモチーフの組み合わせを考えるなどの様々な試みを行いながら、偶然性をも利用しつつ、最終的な形を発見していくという方法がとられることが多いようである。

 

 こうしたことは、既にかなり初期からおこなわれている。たとえば、1958年作の「発掘した言葉」は、作者自身、記念碑な作品と呼ぶ作品であるが、そこでは最終的な形を求めるために、多分に偶然性の大きいデカルコマニーの手法を用いながらの思索が進められている。当時のスケッチブックには、墨を用いたデカルコマニーが十数図あり、単純な形、複雑な形、上下にのびるモチーフ、左右に広がるモチーフなど様々なパターンが試されて、次第に作家のイメージが成熟していった様子を見ることができる。

 

 デカルコマニーを利用して得られた形のイメージは、蝋や樹脂などを用いて立体的な形に成型され、その置かれるべき位置や、相互の組み合わせが試みられて、立体作品としての形が求められることになる。 

 

 また、最近では、彫刻作品の素材としては意外とも思われる、人の意表をつく素材に着目した、新たな形の世界が開かれている。

 

 それは、梱包内装用の合成樹脂(発泡スチロール)を原型に用い、今回の展覧会にはじめて出品された最近作である。こうした素材を使用する根底には、現代社会にあふれる、自然に還元されないリサイクル不可能な人工的製品に対する作者の強い懐疑の思いが込められているというが、ここでは、そうした既製の内装材の組み合わせ・構成によって、全く新たな形が生み出されている。

 

 このうち、最も大きな「海を渡り山を越え街を見る」では、日常生活でしばしば眼にする内装用発泡スチロールの変化に富んだ凹凸のフォルムが複雑に組み合わされて、日本武尊伝説に想を得た白鳥のイメージが内に込められた、陰影に富む伸びやかな形の造形作品として生まれ変わっている。おそらく、向井良吉は、数多くの梱包用パッキングを前に、求めるフォルムを目指して様々に思考を重ね、視覚的な効果を考えながら、それらを組み合わせていったのであろう。

 

 これら最近作には、従来の向井作品と同様、装飾性とも呼びうるデザイン的性格、あるいは塊量性を指向しない、線的な要素の強い造形が認められる。こうした向井作品の性格は、瞥見してきたような、内的な思いを凝縮させ、部分の組み合わせから全体を構成して作品を作り上げていくという制作の在り方とも無関係ではないと思われるのである。

 

 以上、かなり舌足らずな内容となったが、なかなか制作の手の内をみせてくれない向井良吉の造形の水面下のことについて、筆者の感じたことの一端を記してみた次第である。

 

(もうりいちろう・学芸員)

 

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