GESSEN // Daoist Immortals Reading under a Pine Tree // Unknown // Tint on silk
昨年度、小津茂右衛門氏旧蔵の63点にのぼる月僊の作品が三重県立美術館に寄贈された。これらはいずれも明治から昭和初期にかけて収集されたものであるが、月僊の代表的コレクションとして知られ、昭和2年(1927)には恩賜京都博物館(現在の京都国立博物館)で一括して展観されている。
一般に月僊の作品というと、渇筆に淡墨を加えた人物や山水の麁画に特徴があるが、このコレクションには、月僊が自らの画風を形成する以前の試行の跡を窺わせるような作品がいくつか含まれている。月僊の画風を育成した土壌と彼が吸収した養分がどのようなものであったか、それを推測させる貴重な資料としての価値をそれらはもっている。
ここではその一例を紹介しておきたい。
掲出の作品は、落款などから判断して、月俸が寂照寺の住職として伊勢に迎えられた30歳代の前半に描かれたものと考えられる。しかし、ここには、月僊がそれまで仏道を修めるとともに絵画修業を続けていた当時の流行現象を彼なりに咀嚼しようとした跡がみられる。
たとえば、正面を向いた人物表現。正面像を描く習慣は、正面から対看して礼拝する必要のある仏画などを除くと例は極めて少ない。月僊がこの作品を描くに当たり直接範としたのは、おそらく西洋画の影響を受けて明の末期から描かれるようになった肖像画やその影響を受けて生まれた黄檗宗の画像類であろうと思われるが、それらはいずれも正面像として描かれ、しかも西洋画の表現技術を応用した細密な対象描写という共通し特質をもつ。明清画や黄檗絵画が18世紀の日本画壇に大きな影響を及ぼしたことはよく知られる。
一方、松の樹様表現は、京都で師事した円山応挙の作風に従ったものであると思われる。応挙の築き上げた写実的な表現様式は、月僊に受け継がれるとはやくも写意的な筆墨様式へと変質する傾向をみせる。
しかし、この画には、また、月僊が採り入れてまもなく、完全に消化しきれていない祖型がいくらか輪郭をとどめている。 月僊の様式の淵源の一端をそこから窺うことができる。
(山口泰弘 学芸員)
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