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湯原和夫「無題 86−19」

1986−7年

鉛筆、アクリル絵具、墨汁、和紙、紙

 

117.0×117.0 cm

 

三重県立美術館蔵

 

 

 題が「無題」というのではこれをみるひとがすこしばかり不安になるかもしれない。そこに描かれているものをただそのものとみることは、やさしいようでむづかしいからだ。無意味にたえられずに、それにどうしても意味をみつけてしまうことこそ想像力のはたらきの一端なのである。そこで想像力を封じるべくこの「無題」が作品に護符も同様にべつたり貼りつけられたと考えたとしたら、かえつて作者の意にそむく。かたちの原型をみるひとのまえに投げだしたあとは各各の想像/創造のあそびにまかせるというこころだろう。

 

 原型としてのうづまき。円と渦巻はよく似ているようでじつはちがつて、完全であるゆえにそこでせかいが閉じてしまうのが円であるとき、渦巻のほうはむしろ静止した系にふたたび運動をあたえてせかいをひろげる。或はひえた結晶のせかいを攪乱して温度をたかめるといえばいいか。

 

 血とか肉とかをすべて殺ぎおとした非情な幾何学形態をこのんでその造形の言語としてきた湯原は、ここ数年来の平面作品のなかでこれまでにない領域へ足をふみだした気配だ。雲雨至る。凪いで鏡のようにたいらな海にさざなみがたち、直線は曲線へ、さらに渦巻へとしだいにエネルギーが集注してその臨界をこえればそこからとぐろを巻く黒いかたちの姿があらわれてくる。

 

 もともとも柔らかなてざわりの和紙も墨を吸つてぎこちなくおもたげに旋回すればあらあらしい一箇の魂と化してそのあたりにエネルギーをまきちらすが、それでも余るちからは平面をくいやぶつてバベルの塔の螺旋をよじのぼつてさらに空中たかきをめざす龍の姿と変じもしよう。蚊龍得雲雨、終非地中物。また蚊龍得水而神可立地。

 

(東俊郎・学芸員)

 

年報/湯原和夫展

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