1958年(昭和33)油彩、キャンバス112.1×145.5㎝ 三重県立美術館蔵 日本における抽象絵画のパイオニアの一人村井正誠は、1937年頃から「URBAIN」、「聚落」、「百霊廟」などと題されたシリーズを制作している。これらの作品を生むヒントとなったのは内蒙古あたりの航空写真であったというが、なかでも百霊廟はラマ教の寺院を擁する実在の街である。 「支那の町No.1」もそうした一点であろうが、一見完全な抽象作品に見えるこの単純な形態と色彩の布置のうちに、よく見れば街の姿が見え隠れを始める。そこには水平方向に展開する都市の姿のみでなく、鮮やかな色面と囲い込むような線の形態との重なり具合いによって、都市の縦の構造、あるいは時間的な重層性までもが透けて見える。そのため、恐らく風土に即して徐々に形成されたに違いない、独自の形態をもつ都市の現在の様子やその歴史的な成立の過程、さらにはその周囲の環境にまで、様々に興味がかき立てられる。 1938年当時、最も徹底した抽象絵画であったこの作品にあまりにも具象的なイメージを読み取るのは、その本質を見誤ることになるかもしれない。しかし一種具象絵画としての魅力が、決して妥協や躊躇の跡などとは感じられず、むしろ初期の純粋抽象絵画のもつ息苦しさを払拭してしている点こそ、この作品が今なお新鮮さを失わない大きな要因であると思われる。 (土田真紀・学芸員) |
112.1x193.9cm 油彩・キャンバス1938年
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