石崎勝基 宇田荻邨の『山村(下絵)』(FIG・1)-ヨーロッパにおける、歴史画など少なくとも公的な性格を帯びた主題の作品の場合同様、日本画もまた全体の構図や細部のための習作を積み重ねて、いわゆる完成作─〈本画〉 に至る。今回展示された一群の下絵はいずれも、完成作に取りかかる直前の最後の投階にあたるものと思われ、完成作とほぼ同じ大きさの紙に、細部まで配置され描き込まれている。ただ下絵ゆえ画面すべてが賦彩で埋めつくされてはおらず、また透明な淡彩で、そのため支持体である紙の存在を隠してしまわずにいる。輪郭をとらえる線がなぞられたり引き直され、透けているかのように二重映しになっていることもある。作者にしてみればこれらを人前に出すつもりなどなかったのであろう、畳まれた折り目が残っている。 こうした下絵が作者の手や目の息吹き、ためらいなどを直接読みとらせるため、少なくとも今日の嗜好に対して完成作以上に生気を感じさせるのだが、これはルネサンスに端を発し、なかんずく十九世紀にあらわになったヨーロッパ近代美術の問題のひとつなのである。『山村(下絵)』では先に触れたように、色や線の透明さが支持体の存在を透かし見せるのだが、しかし支持体もまた不透明な物体として視線をはじき返すのではなく、色や線の動きを受け入れることでそこに空間が切り開かれてゆくような開かれた場として機能しており、手の動きや視線を上滑りさせてしまわず、平面でありつつ奥行きまた手前へのイリュージョンを現出する重層的な空間が生み出されている。この点で下絵的なるものの評価は、物体としての支持体や手の動きを裸形にまで還元した現代のドゥローイングに遠く呼応している。ただ下絵にあっても様式が変化することは本画と同様で、荻邨の場合大正期のものに比して後になると、線や淡彩が装飾的に表面を走って、逆に言えば透明化が過ぎて場としての抵抗を薄めてしまい、空間を生成する力を減じている。 対するに近代日本画の本画にあっては、薄塗りであれ厚塗りであれ絵具層は、皮膜のように支持体をくまなく隠蔽するのだが、そのためかえって自足しておのれの物質性を超え得ずに終わってしまうことが少なくない。しかしこうした記述を許すこと自体ある意味で近代性のあかしであって、前近代の絵画では描かれたイメージが、空間として意味としてイリュージョンをはらむことに多少の振幅はあれ根源的なまでに疑わせることはなかった。十九世紀のサロン絵画が、また〈日本画〉という呼称自体がそうであるように、伝統を楯に、自己の構造への批判という近代主義の要請を棚置きして一地方性のうちにたてこもった日本画もまた、紛れもなく近代の産物なのである。 上に述べた日本画の本画のありかたを利用したものに、最盛期の藤田嗣治の作品がある(FIG・2)。名高い藤田の〈白〉が持つ皮膜のような性格は、形態たるべき色面を区切るのではなく白の上にのせられただけの細い筆による黒の線から読みとられる。ために隅取りとその上の線は微妙にずれていたりする。勢いを殺され画面の分割に何の役割も果たしていないその動きは、白の膜の表面張力を強めるとともに、その緊張が生命ならぬ腐朽を包むデカダンスのそれであり、だからなお、膜の薄さが洗練の謂いであることを物語っている。 やはり都市の頽廃を描いたと見えるムンクの作品(FIG・4)は、しかしそれを支えたのが形式の洗練ではなく強い心性の表現であることで、訴える力を獲得している。ただし後の表現主義や新表現主義と異なり、その表出性はゴッホ同様、絵画の形式のありかたと緊張関係にある。形態と感情が互いに充たしあっているために、表面に即するだけで終わらず、生成するものとしてのヴォリュームや深みが生まれるのである。ムンクにあっては人物以上に、それを包む周囲が独自の生命を持つことの果たす役割が大きい。 ムンクが生まれたノルウェーも、カンディンスキー(FIG・3)やシャガール(FIG・5)のロシアも当時のヨーロッパにおいては辺境だった。それゆえか彼らの作品には、人間や都市の尺度におさまらぬ宇宙的な粗野さが認められる。カンデインスキーをはじめとする初期抽象の作家が共有する、浮遊するイメージと一体化した空間は、パリのドローネーに比べれば明らかなように、地方ゆえ後進ゆえのラディカリズムに発しているのだろう。 他方、短かからぬ歴史を通じて中国その他の─〈地方〉であり続けた日本の、ヨーロッパに村し二重の地方化を宿命づけられた際のあがきこそが、日本の近代美術であったと言えるかもしれない。〈日本画〉の問題はその相のひとつであり、藤田や荻須高徳(FIG・6)の作品が少なくとも一時期達し得たまとまりが示すように、〈エコール・ド・パリ〉や〈滞欧作〉の問題はまた別の局面である。後二者はさらに、それでは〈中央〉とは何かとの問いをも照らし返している。
地方性は作品と作り手のみならず、それをせめて、遠くはなかろう人類の終焉まで手渡し続けていこうとする美術館の問題でもある。様々な局面でエントロピー増大を加速しゆく状況にあって、日本のいわゆる地方美術館がその時々の実相を現わすのは、常設展示に劣らず〈新収蔵品展〉においてであろう。 (いしざきかつもと・学芸員) |
fig.1 宇田荻邨 『山村(下絵)』1925
fig.2 藤田嗣治『猫のいる自画像』 1927頃
fig.3 カンディンスキー『小さな世界』より「小さな世界Ⅷ」 1922
fig.4 ムンク『マイアー・グレーフェ・ボートフォリオ』より 二人:孤独な人たち 1895
fig.5 シャガール『街』 1908
fig.6 荻須高徳『街角(グルネル)』 1929-30
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