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美術館 > 刊行物 > HILL WIND > ひる・うぃんど(vol.21-30) > ひる・ういんど 第22号 バッサーノの兎──プラハ国立美術館コレクション展より

バッサーノの兎──プラハ国立美術館コレクション展より

石崎勝基

ナニミテハネル

 

 ヤーコポ・バッサーノの『カナンヘの出発』(FIG.1)を前にして、画面左下すみに描かれた三本の重なる柱(FIG.2)が構図全体の骨組みをくりかえしていると述べたひとがいるが、なるほど左上がりの柱は前景を右から左へ進む隊列に、右上がりの長い柱は前景から塔、山並み、夜明けらしい空へと至る奥行きに、そして手前の短い柱は馬上の男に応じて上の二つの方向をかみ合わせるくさびの役割りを果たす。ところで馬上の男が確かにくさびの役割りを担っているとしても、決して画面の絶対的な中心となっているわけではない。画面に対して背を向けていることでまず観者の視線はかわされ、そしてやはりその多くが背を向けた隊列に組みこまれて画面に占める比重は弱められる。右下に落とされたその視線は彼が画面で突出するのをおさえ、水平に上げた左手が隊列の向きを強調する。観るものの視線は隊列に従って画面右から左に進むのだが、人物動物のほとんどが背を向けていることとあいまって、右から左への方向は直線ではなく奥から手前にふくらんだ大きな弧としてとらえられ、その弧が今度は中心軸として天上の神を要求することになろう。そして弧と軸たる神とのへだたりが奥行きへの後退を保証する。馬上の男と赤子を差し出す女の組は、弧全体に村する周転円のように視線を動かしてゆく。

 

 こうした骨格に、均衡を旨とした盛期ルネサンスの構図法に対し中心をはずし空間をゆがめ誇張するマニエリスムの様式を見出すことができよう。人物のほとんどが背を向けている点にも韜晦を読みとれるかもしれない。画面全体の印象がしかしマニエリスム固有の不自然さを感じさせないのは、骨格を前面に出してしまわない賦彩ゆえで、ターバンや馬の白をハイライトにちらちらと明滅するような光の効果を対比させつつ、全体を夜か濃い曇り空の調子のうちに統一している。現在の画面の暗さが制作当時そのままとは考えられないにせよ、初期の明るい色調に引き伸ばしたような人体を配した作風から強い明暗の対比のうちに風俗画的な細部を描きこむ様式に至るバッサーノの他の作例にてらして、当初の画面もやや暗い褐色の調子を基調にしたものと考えてよいだろう。前景の人物その他は大地に足をおろした重量を感じさせる肉づけを施され、画面に現実の重みを与えている。現実味を保証された上で、蛇行する道ないし川だの建物だのの線遠近法的なしかけによるのではなく、雲や丘・山に明部と暗部をかわるがわる置くことで遥かなひろがりが得られる。このような色調と光の効果による空間感を、今度は輪郭のはっきりした左下の三本の柱が引きしめることになる。

 

 もっとも画面がはらむべきひろがりは充全に展開されているとはいえない。画面に対する前景の人物や動物の大きさ、羊や山羊、その足もとにつめこまれた食器類の煩瑣さ、そして天上の神の大きさと位置などが前景と遠景の連続を断ち、遠景を書割りのように感じさせかねない。やはり十六世紀後半に制作されたブリューゲルの似通った構図の作品いくつか(FIG.3)と比較すれば、空間がのびを欠くことはよく見てとれよう。ブリューゲルにおいては人物が画面に対してずっと小さく、その分人物は点景として視野の大きなひろがりがとらえられ、また前景から中景、そして遠景に至る連なりは順を追って後退してゆく。 

 

 両作品の比較はさらに、個々の作品のありようを越えてイタリアとネーデルランドの空間のとらえ方のちがいをも物語る。イタリア絵画における関心の焦点はあくまで人間であって、人体の肉づけは重みとそれがかかる地面の存在を感じさせ、画面に取りこまれる空間のスケールも人体の大きさに準じている。強い明暗の対比が効果を発揮するのも視野が局限されていてこそである。ヴァン・エイク以来のネーデルランド絵画では人体とそれを囲む空気・環境とに対する画家の関心はさほど差なく、色調も強い対比を伴わぬより拡散したもので、その分空間はより大局的な、しばしば俯瞰する神の視点からとらえられて個物を区別しない場そのものとなる。そうした視覚を成り立たせるのがメディウムの多い絵具を薄塗りで幾重にも重ね、光を透過させ白い地塗りで反射させる透明画法である(空気そのものに光を含むがごとき描写はヤン・ヴァン・エイク以外にはなし得なかったのだが)。対するにヴェネツィア派の油彩は十六世紀のティツイアーノ以降、褐色や灰色の有色地塗りにメディウムの少ない油絵具を厚塗りで描き、仕上げ層にグラシを施す不透明画法がとられるとのことで、これは以後の近世絵画の基本となる。それはまた、宇宙を見渡す神の位置から地に足をつけた人間の目の高さに視点を移す、ルネサンス以来の世界観の変容と並行していよう。

 

 左下の三本の柱がこの作品の骨組みそのものをくりかえしているとして、それでは、右側の土手に見える兎(FIG.4)はこの画面においてどのような意味をもっているのだろうか?(つづく

 

(いしざきかつもと・学芸員)

ヤーコポ・バッサーノの『カナンヘの出発』(FIG.1)

FIG.1

 

三本の重なる柱(FIG.2)

FIG.2

 

ブリューゲルの似通った構図の作品いくつか(FIG.3)

FIG.3 ブリューゲル『牛群の帰り』

1565年 ウィーン・美術史美術館

 

 

右側の土手に見える兎(FIG.4)

FIG.4

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