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美術館 > 刊行物 > HILL WIND > ひる・うぃんど(vol.11-20) > ひる・ういんど 第19号 「ノート・鮭の尾鰭」考 土田真紀

「ノート・鮭の尾鰭」考

─〈館蔵品の版画・立体による・・いろとかたちの響き〉展より

 

土田真紀

 

 「ノート・鮭の尾鰭」は彫刻家若林奮による初の銅版画集で、ドライポイントとエッチングによる14点を収めている。奥付に「『ノート・鮭の尾鰭』は、若林奮によるヨーロッパ第四氷河期の観察にもとづくノートのうち線刻(グラヴュール)についての一部分をまとめたものである」とあり、別のページに短い文章の形をとったノートが記されている。

 

 奥付の言葉通りに、ノートはヨーロッパ第四氷河期(約3~1万年前)、すなわち旧石器時代後期が遺した人類最古の造形作品のうち、線刻に関するものである。それらの線刻は、もともと岩壁や礫や骨片に施されていたが、その膨大な量が今では博物館に集積されている。しかし博物館の展示ケースの向こう側には、こうした人の手の業になるものと並んで、水、空気、水蒸気といった自然の手によって刻み込まれた線も観察されるのである。「拾った平たい石の刻線は浅くて判然としないが、岩山と空気にかけてつくられた方は深く、薄い草の葉が一枚ようやく入る間隙で割れている」。

 

 彼の銅版画制作はこうした線刻の観察を出発点としているのであるが、そのため彼にとっての銅版画は何よりもまず「線を刻みつける」ことにおいて意味を有しており、そこには非常に独自の「線」を巡る思考が込められているように思われる。彼は銅版画の数ある技法のなかでもドライポイントとエッチングの2つを用いている。周知のように、ドライポイントは直接に版の表面を針などで引っ掻いて線をつくりだす技法、エッチングは酸を用いた腐蝕作用による技法である。この2つの技法はどことなく若林のノートに記された2種類の線刻を思い起こさせはしないだろうか。ビュランという特別な道具と熟練した技術を必要とするエングレイヴィングに比べると、ドライポイントは銅版画技法のなかでも最もプリミティヴであり、針で引っ掻くという行為は造形活動の根源にある衝動に結び付くものを孕んでいる。またこの技法独自の「めくれ」が度重なるプレスに耐ええないものであるという点も、次第に風化していく太古の線刻のイメージと重なり合うのである。一方、酸による腐蝕は、人工的ではあるものの、悠久のときをかけて遂行されていく自然の侵蝕作用とアナロジカルに捉えられているようである。そこには人の手の及ばない領域が広がっている。

 

 こうして若林にとって銅版画はまず「線を刻みつける場」という点で第一義的な意味を担っているといえそうである。しかし、彼の場合にもまた銅版画は銅版画であり、線刻の段階に終わるものではない。作品は刻んだ線にインクを詰め、紙の上に刷りとることによって初めて完結する。線刻がその姿を現わすのは結局のところこの紙の上なのである。もちろん銅版画と明記されている限り、紙上に具体化された線が一度は刻みつけられた線であることは観念的に理解される。しかしそれだけであろうか。ここで注目したいのは「にじみ」に対する彼の執着ぶりである。彼はエッチングよりドライポイントを多用する。後者による線がめくれから生じるにじみを特徴としていることは周知のとおりである。ここではにじみは単なる線の味わいではない。にじむこと、紙の中に滲み透っていくこと自体が意味を帯びている。

 1981年7月の「美術手帖」増刊号「デッサン」に若林は一文を寄せている。そこから、彼がデッサンにおいても、描くという行為を、全く平らな表面上の拡がりにおける運動としてのみではなく、インクや鉛筆が紙の中に滲み込んだり喰い込んだりしていくという垂直方向においても思考していることが窺われる。「インクやそれに類するものは、紙の中にしみ込んで、紙の厚さを彩色するからで、また、そこにひかれた線は、紙の上にのるのではなく、紙のなかに縦にくいこむ」。たとえば「大気中の緑色に属するもののためのデッサンNo.2」においても、若林はしばしば凹凸が生じるほど強く鉛筆を紙にこすりつけたり、一度黒く塗りつぶした面から削り取るような形で白い線を浮かび上がらせるという方法を用いたりしており、このことを裏付ける。

 

 

 「鮭の尾鰭」では線の厚みは紙の上でインクのにじみとして視覚化されている。またにじみに加えて、かなり強いプレスをかけるためか、刻まれた線の縁がかなりはっきりと紙に喰い込み白い線として浮かび出ていることにも気づく。反転して紙の上に現象した線もまた「刻線」なのである。

 

 紙の上の線にも厚みを見てしまう感性、こうした感性は本質的に彫刻家固有のものとでも呼ぶほかないようなものであるが、彼が描線ではなく刻線に注意を魅きつけられるのにはこうした感性の裏付けがあるように思われる。そしてまた、それは、線刻の観察に基づくノートが銅版画集という形式をとったことにも関わっているように思われる。

 

 若林奮の銅版画が、銅版画家のそれと全く趣を異にしているのは以上のような理由によるものと思われる。それは単なる「彫刻家による版画」なのではなく、本質的に彫刻家の視点から思考されたところの銅版画なのである。

 

(つちだまき・学芸員)

 

作家別記事一覧:若林奮

 

 

ノート『鮭の尾鰭』 1978年

 

大気中の緑色に属するもののためのデッサンNo.2 1982年

 
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