新収蔵品から
荻邨は「林泉」と名のつく作品をふたつ残している。ひとつは昭和16年(1941)の第4回新文展に出品した土田麦僊を想わせる様式化さねた形態と色面からなる作品で、もうひとつが掲出の作品である。早春らしい枯木と新緑の入り混じった林に小鳥やキジか群れ、蓮池には水禽が遊ぶ。画面は、通常の絵具のほかに金泥を多用して、現実の景観というよりもむしろ何か神仙界の寮観を表現しようとするところに荻邨の意図があったように思われる。 荻邨は明治29年(1896)に三重県松阪市に生まれ、地元で中村左洲について日本画の基礎を学び、その後京都に出て菊池契月・芳文の門に入って研鑽を積んだ。この作品は、昭和12年(1937)41歳のとき、はじめて開いた個展に出品した18点のうちのひとつで、制作年は明記されていないが、作風から判断して個展からそれほど遡らない時期に描かれたものと考えられる。 (山口泰弘 学芸員) |