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関根正二の「死を思ふ日」雑感 ─「関根正二とその時代」展から─

中谷伸生

 

 関根正二の絵画には北方ルネサンスの画家デューラーの影響が顕著に認められる、という指摘は、これまで多くの批評家たちによって、繰り返し語られてきた。

 

 実際、油彩やデッサンによる幾枚もの「自画像」を眺めてみると、その顔の向きや、硬質で鋭い線描などは、確かにデューラー風の特質を覗かせている。しかし、こうした影響ということが、あまりに強く主張されすぎたため、デューラー風と考えられた関根の一群の作品に、他の数多くの画家たちの作風が、直接あるいは間接に、投影されていることが、精緻に論究されぬままになっているようである。

 

 大正4年、関根は無銭旅行に出かけ、長野の地で、若き洋画家河野通勢に出会い、河野にデューラーやレオナルドなどの洋書の画集を見せられて、これらヨーロッパの巨匠の作品に圧倒されたという。このことは間違いなく事実であろう。だが、そのときに関根の絵画観を一変させたのは、デューラー以上に、河野通勢の作品であったという見方も、両者の作品を並べてみるならば、容易に納得しうるであろう。

 

 一例を挙げるなら、関根の油彩画「死を思ふ日」(大正4年)は、幼なじみであった伊東深水の回想によれば、「デューラーに刺激されて、そういう深刻な絵を描いたのだと思います。労働者風の男が強風をうけながら大木の下を外套をかぶって歩いているような絵でした」(伊東深水「関根正二と私」、『三彩』127号、昭和35年6月)と説明されている。しかし、改めてこの画面を注視してみると、大きな樹木、そして特に手前の叢の描写に見られる、うねるように屈曲する枝や、羊歯のように見える粘りのある草木の形態などは、デューラーの様式とはまったく別種の表現を示しているのではなかろうか。この関根の樹木の様式に酷似するものとして、私はすぐさま、河野通勢の油彩画「長野風景」(大正4年)、「河柳」(大正4年)などの作品を思い浮かべた。河野の描く樹木の枝や草、しかも「河柳」においては、画面左側に描かれた川の水の流れの表現までもが、きわめて癖のある屈曲線による形態を覗かせている。関根がこの河野の特異な表現法の影響を受けたことは、誰しも首肯せざるをえないであろう。それほどに両者の樹木の表現は酷似しているのである。

 

 それでは一体、西洋の絵画に習熟しようと努力を重ねた河野の様式は、如何なる画家の影響を受けて生まれたのであろうか。これまで、関根は、河野を通じてデューラーの影響を受けた、といわれているが、このデューラー=河野=関根という影響関係の図式自体が、誤謬ではないにしても、いささか簡略化しすぎていて、そしてまた必要以上に強調されすぎていて、実際には、もっと複雑な影響関係があることを、見過ごしてしまう結果を招いている。少なくとも、河野の油彩による風景画は、デューラーの絵画には似ていない。当然のことながら、関根の「死を思ふ日」も、やはリデューラーには似ていない。河野の作品に酷似する西洋絵画を、敢えて挙げるとすれば、全体の印象からは17世紀のフランドル派やオランダ派、たとえばルーベンスやロイスダールの風景画を、そして樹木などの細部描写からは16世紀ドイツのドナウ派、たとえばアルトドルファーなどの表現法を思い起こさせる。さらに、関根のデッサンに決定的な影響を与えた河野のデッサンに触れておくと、それらの中には、デューラー風の作品があるのは事実であるが、数ある「裾花の河柳スケッチ」を見ると、樹木のやわらかい輪郭線などは、レンブラントの代表的版画「三本の木」(1643年)の樹木のそれに酷似する。ともかく、デュ−ラーよりも遥かによく似ている。河野がフランドルやオランダ絵画に関心を抱き、ホッベマやロイスダールなどの複製図版を『美術画報』や『白樺』から切り抜いて蒐集していたことは、子息の河野通明氏もはっきりと指摘されている。

 

 河野通勢の作品の影響を直接受けた、関根の「死を思ふ日」の画面には、以上のように様々な画家たちの様式が混入していて、簡単にデューラー云々と語ることは避けるべきであろう。しかも見逃せないのは、河野には河野独自の個性があったに違いないので、ヨーロッパの絵画の影響ということも、ある段階以上に細かく精査するのは無意味である。もちろん、関根の場合も同様であって、河野の影響のみに固執するのは危険であろう。伊東深水は、関根の「死を思ふ日」について、先にも触れた文章中で、「二科会の第四回(ママ)に出品したのが『死を思ふ日』という作品でした。彼は死のことなんか考えたことがない男なんですが、デューラーに刺激されて、そういう深刻な絵を描いたのだと思います」(前掲書、深水「関根正二と私」)と述べている。デューラーの影響を主張する深水の言葉に、もはや言及するつもりはないが、ただ一言付け加えておくと、関根は死のことなど考えた男ではない、という深水の見解を、私は素直に受け入れることができないのである。われわれが「死を思ふ日」に向き合ったとき、一瞬息をのむような暗鬱な気分に捉われるが、それはおそらく、若い関根の胸中を真っ黒に覆っていた〈死の影〉であったに違いない。 

 

(なかたに のぶお・学芸課長)

 

作家別記事一覧:関根正二

関根正二 「死を思ふ日」

関根正二

「死を思ふ日」

 

1915年

 

 

河野通勢 「河柳」

河野通勢

「河柳」

 

1915年

 

 

 河野通勢 「裾花の河柳スケッチ」

河野通勢

「裾花の河柳スケッチ」

 

1914年

 

 

レンブラント 「三本の木」

レンブラント

「三本の木」

 

1643年

 

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