黒田がそのフランス留学期(1884-1893年)に、知識としてでなく血肉も同様に体翫した無形の精神、生活するフランスのそれは、帰国した明治後半の日本に対応する現実をみつけることなく、亭々とした大木に育つはずの芽は、破滅型の芸術家であれば社会によってなしくずしに、あるいは急速につみとられただろうが、心身のバランス感にたけた黒田にあって、細やかなもの愛らしいもののかぎられた領域に縮小変形しながら温存された。『鉄砲百合』(1909年)や『夏草』(1911年)など小さな画面の小さな植物の水と大気と光と風を感じさせる描写には、印象派の技法の巧拙をこえて、そういった、いわば後衛での戦いがひっそりと闘われている。
庭の片隅の、水のつかのまの変形である雪景色を小画面にしたてる視線も、おなじこと。『雪景』(1919年)は、1908年の『山かげの雪』のあわあわとした印象よリ1922年の『雪』にちかく、白さがやや、粘っているが。雪の国境はない。滞仏時に描いた雪景色から晩年のそれまで、生来金石の意より艸木の情にあついひとの、刻々の環境の変化にもけっしてかわらなかった内心を託するかのように、くりかえし描かれた。
(学芸員 東 俊郎)
年報/黒田清輝展
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