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彝の時代について偶感

山口泰弘

 これは、中村彝の絵を通観したことのある人なら誰もが感じざるをえないことだし、いまさらことさらに取り上げる問題でもないかもしれないと思うが、彝が被った多様な、つまりレンブラント・ルノワール・セザンヌなどから被った作風上の様式摂取の影響がどのように彝自身の自己形成力を練り上げ得たのか、そして彝の絵が、彝以前に現われまた彝の後から出てくる画家たちの絵との間で、展開史として、どのような響合いを奏でているのか、という問題が会場に並んだ130点余りをつぶさに見てあらためて頭をよぎった。

 

 彝の後に乗る時代つまり、大正末から昭和初めにかけての時代は、画家たちが在野に衆合する時代であったとともに、いわゆる近代日本洋画の、歴史的意義を持つ展開史の終楽章といえる時代でもあったのではないか。「再び渡欧するとさは古い日本画の山水画や宗教画を見てきたい――日本へ留学するんです。」と友人に言いのこして帰国の途についた佐伯祐三は、フォーヴに接することで古い日本画の線の表出力にあらためて着眼する契機を得ているし、文人画的感性に繋がるフォーヴの移植のたやすさは藤島武二の指摘しているところでもある。

 

 「絵画芸術では単純化(サンプリシテ)ということは最も大切なことと信ずる。」「複雑な対象を別個の世界である画面の上で単純にする。・・・そしてはじめてものを統一する。」ラファエロやシャヴァンヌの画面に現実そのままとは異なる色彩・面・線の単純化とその総合を発見したというこの藤島はまた、古い日本画についても特に平安時代の『那智滝図』をひいて「従来邦画の山水といっても、多くは支那絵の粉本から焼さ直したのである。ところが彼の那智の滝の絵は全く趣を異にしたもので、確かに自然によって構図をしたことは明白である、しかも装飾絵の頭脳を持って一層立派に想化したものである。」単純という言葉は、藤島の文脈の中では、装飾―日本絵画における伝統的な特質―という言葉に置さ換えて読むことができる。この時期の藤島は、特に風景画の分野で、非常に限定され装飾化された色彩・面・線と、それにもかかわらず視覚的リアリティーを失わないという背反する二律のみごとな平衡の上に立つ作品を遺している。

 

 西洋的な市民的自我意識をとうとう醸成しえなかった明治以降の歴史的環境の中で、合理性・内面性の追及とそれにかかわるリアリズムの追及といった、日本洋画が背負い込まされ跛行的にならざるをえなかった近代主義を洗い直して、伝統的な美意識―装飾性を再評価し、洋画に取り込むという姿勢はしかし、この時期、藤島ひとりにかぎらず、先の佐伯あるいは梅原龍三郎にも通じる動きでもあった。この動きを、近代的リアリズムの挫折、歪曲の歴史の残滓とみなして消極的な評価を与えるか、“日本人の洋画”―これは佐伯、藤島がそれぞれに語った言葉だが―の完成と積極的に認めるかは立場によって異なろうが、たとえば中世における水墨画の中国からの移植と日本における展開の歴史とダブルイメージで捉えたりすると、ひとつの帰結―日本化―への動きとして、私の場合、興味を覚えないではいられない。

 

 前代のアカデミズムの軛から解さ放たれた時代であり、ひとつの帰結化を前にした彝の時代は、ある意味で気儘を許された、自由でしかし一面で頗るデモニッシュな、スケルツォ楽章。彝の作品を通観して、このような偶感を抱いた。

 

(やまぐち・やすひろ 学芸員)

 

年報/中村彝展

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