村山槐多は神奈川県の生まれ。1909年京都府立一中に入学、早熟な才能にめぐまれた彼は文学、美術にこの頃から親しみ、19世紀ヨーロッパの文芸思潮を一種特別なデカダン趣味で把えた明治末から大正初期の日本の時代をもっとも正直に反映させて生き、それを否定することでさらに飛躍するはずの精神の転形期をまぢかにみながら、自殺にちかいかたちで、1919年病死。満22歳5カ月。彼の死を惜しむ人は数多い。
この《自画像》は1915年頃の作。約10点ある自画像のうちでもすぐれた作品のひとつといえる。自意識過剰の天才児きどりの彼の精神にやっと追いつけて、同じ速度で歩みはじめた彼の肉体がこれから描かれようとしている気配が感じられる。
(東俊郎・学芸員)
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1914・5年|油彩・キャンバス|60.5×50.0cm
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