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美術館 > 刊行物 > HILL WIND > ひる・うぃんど(vol.1-10) > ドーミエ《時事-1853年》

ドーミエ《時事-1853年》

 たしかに漫画のもつ即時性によって、ドーミエの作品はまず19世紀フランス史に精通した人々が、歴史の転換期の諸場面を解説する材料に使ってきたのだが、すでに印象派のドガやマネはそこに、1)絵画主題としての近代都市生活の諸相。2)対象を強調する目的で、アカデミックな規範からは大さく逸脱した遠近法や明暗法の処理と、いたずらな細部描写の回避。3)人物の動きに演劇的要素を採り入れたデッサンとしての石版画の妙味をみとめ彼らの作品に応用した。つまリドーミエにとっては、新聞雑誌の挿絵というジャーナリズムと結びついた複製芸術の必然的な配慮を、あえて絵画芸術の尖鋭性を主張した印象派は、「容易に記憶できる常套句(クリシェ)へと要約.された図像」に転用したといえる。もちろんドーミエ自身が描いたものは-この《時事-1853年≫と題された作品に端的に表われているように-自らの立派な肖像画の前でも、不潔なキャンディーを口にすれば腹痛を起す、ありのままのパリ市民の姿には違いないのだが、1798年にアロイス・ゼネフェルダーが発明した石版画印刷技術を、いちはやく試みたフランス・ロマン派の画家のひとりとして、彼は革命後の政府が称揚してきた古典的な大様式の歴史画が氾濫する当時のフランス画壇に、18世紀のクルーズやフラゴナールぱりの軽妙な笑劇仕立ての風俗画を提示したひとりなのである.その意味で19世紀レアリスムの影に潜み、いみじくもボードレールが指摘した「ロマン主義芸術のもつロココ趣味」は、人間世界を観察する能力と、美を求めてやまない資質との間で、絶えず揺れ動いていた画家ドーミエの場合にもあてはまるのである。

 

(荒屋鋪透・学芸員)

 

年報/ドーミエ版画展

作家別記事一覧:ドーミエ

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