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美術館 > 刊行物 > 年報 > 1997年度版 > 年報1997 <移動>展ガイド ナティビダー・ナバローン(第1室)

ナティビダー・ナバローン(第1室)

 第1室の奥は、ナティビダー・ナバローン Natividad Navalón (1961年、バレンシア生まれ)の空間です。ナバローンは、廃品だったのを拾ってきたというひじかけ椅子や、鏡を用いて、椅子に座っていた、しかし今はいない誰か、鏡に映る、しかし実体ではない像など、前にはあったのに今はない、あるはずなのに本当はない、そんな不在の何かを強く感じさせるインスタレーションを組みたててきました。

 今回の作品は、全体が『私のからだ:鎮痛と恐れ』というシリーズをなしており、それぞれに副題となる文が付されています。それらを読むと、フェミニズム的な発想にもとづいているであろうことがわかります(原文の一つでは、話者は女性形になっています)。

 柔らかく、滑らかで、温度を保ってくれそうな、時に豪奢な紅いビロードが、何かを包むように丸められている、しかしそれはほつれていたり、中から綿や木の皮だかがはみだしていたりする、あるいは鉄のベルトでしめつけられ、釘や安全ピンで閉じられ、あげくは巨大な針で縫いあわせられようとしています。縦に配されるにせよ横に寝かされるにせよ、細長いそれらの形は、いやおうなく人体を連想させることでしょう。そしてそこに加えられた上のような操作は、保護するためとも抑えつけるためともどちらともつかぬままに、ただ見る者に、何らかの痛みを感じさせずにいないのではないでしょうか。

 しかしまた、これらは人体を具体的に型どっているわけではありません。ただ、暗がりの中で、ビロードの紅さのあでやかさや肌ざわりとあいまって、ひりひりするような感触がささやきかけるさまに、耳を傾けてみてください。

シンポジウムより、1997.10.26
ナティビダー・ナバローン

「ここで展示する作品は、1996年にスタートした仕事の一部をなしています。そのタイトルは、『私のからだ:鎮痛と恐れ』です。この仕事は、孤独と記憶の内にある女性という存在、社会の内で彼女がどこにいこうとも、その身体を抹消しようとし、区別化しようとし、意識させずにおかない女性という存在に言及するものです。

 しかし私が作ろうとしているのは、権利請求のための作品ではなく、受動的な犠牲者に対するオマージュなのです。彼女たちは、日々の生活で、女性であるという重荷を引きうけているのです。

 この仕事は、女性という、ある身体が宿す感情をすくい上げようとするものです。女性の身体に、生は痕跡と傷跡を残してゆき、身体は、侵略されることのないよう、戦うことに慣れさせられます。

 こうした身体は、ビロードのような素材でもって表象されます。それは柔らかで優美なものに見えますが、最後はぎゅうぎゅうつまった、攻撃的なものとなります。このようなビロードに安全ピンが、記憶のようにして、その痕跡を残し、寝床を織りあげていきます。そこで意識は休息をとるのです。

 そして、この一見柔らかなビロードこそが、自分自身のあるじを生みだすべく戦う女性的なる存在をかくまうものなのです。

 この仕事においては身体は、生贄にして執行吏、省察の場所、目覚めの瞬間、不快であるという意識の存在、偽りの倫理にみちたもの、矛盾だらけのもの、つまるところ刻印され、居心地悪く、煩わされ、落ちつきようもない身体として現われているのです……」

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