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美術館 > 刊行物 > 年報 > 1997年度版 > 年報1997 <移動>展ガイド ガイドのガイド

ガイドのガイド

 今回の展覧会には、コミッショナーのフェルナンド・カストロ・フローレス氏によって、<移動>というコンセプトが設定されました。<移動>ということばのもとのスペイン語は‘desplazamiento’(タイトルは複数形)で、英語なら‘displacement’、フランス語では ‘déplacement’にあたります。辞書をひけば、「移動、移転、変位、撤去、排除、入れ替え、解任」、さらに地質学用語で「ずれ」、海事の用語で「排水(量)」などがあげられており、そこから<移動>という訳を選んだのは、いちばん広く意味がとれそうだからという以上ではありません。なかでも、精神分析の用語で、<置き換え>と訳されることもあるドイツ語の‘Verschiebung’が、フランス語や英語で上の単語にあてられることは、見逃してはならない点でしょう。

 さて、‘despalazamiento’の語は、カストロ氏の説明によると、「広場、場所、地位」などを意味する‘plaza’(英語・フランス語の‘place’)に、「除く、剥ぐ、…を離れて」など「分離」を意味する接頭辞‘des-’(英語の‘dis-’、フランス語の‘dé-’)と、作用を表わす接尾辞‘-miento’(英語・フランス語の‘-ment’)をつけたものです。つまり、ある特定の場所、何らかの中心・焦点となるような場所からはずれていくような動きをさすわけです。この場合、移動するのは、身体や物などの即物的な動きはもとより、視点、気持ち、価値観、文化的なカテゴリーなどの動きにもあてはめることができることは、いうまでもありません。

 思えば人間がこれまでの歴史の中で考えてきたことは、しばしば、何らかの中心となる理念、たとえば真・善・美であるとか、根源、精神や光、秩序、神であるとか人間、自己などなどを設定して、そこから世界を説明しようというものでした。いわゆるロゴス中心主義なりファロス中心主義ですが、その際、上のような理念は同時に、価値をになうものとして設定されるわけで、その結果、対立項となる理念、たとえば虚・悪・醜、派生物あるいは周縁、物質なり闇、渾沌、悪魔ないし被造物、人間以外の存在、他者などなどは価値を切りさげられることになります。ここから、後者を抑圧したり排除しようとする思考が生まれることは、宗教、人種、民族、性差、階級などさまざまな領域で、歴史上その例に枚挙のいとまもありますまい。

 といって、価値軸をひっくりかえし、隠弊されてきたものを復権するというだけでは、同じことの裏返しになりがちでしょうし、あるいはいっさいを包摂するような<全体>をもちあげることが、多くの場合個々の細かなちがいを押しつぶそうとすることも、いわずもがなでしょう。

 この時<移動>とは、個々のちがいはそのまま、それらを整序するような軸や境界線を設けようとすることなく、自らをも単一のものとして固定させず、たえず動き変化しつづけ、ずれつづけようとすること、となるでしょうか(よく考えればこれは、決して楽なことではありません)。その際、場所や位置というものがなくなってしまうわけではなく、場所自体が、ずれの連なりとして成立するはずなのです。

 美術の領域でも、同様の問題を設定することはできるでしょう。西欧においてはルネサンス以来、まず、絵画や彫刻は純粋芸術・高級芸術として、工芸やデザイン、版画、後には写真などから区別され、さらに、たとえば絵画の中でも、宗教や神話をあつかう歴史画が、肖像画、風俗画、風景画や静物画より上位におかれ、何らかの精神的な理念を表現すべきものとされてきました。こうした位置づけが近代になって問いなおされ、大きな変化をしめしてきたことはよく知られていますが、その場合でも、さまざま外的要因から自律したものとしての美術、およびそうした考え方に対する反作用とによって、近代の美術は動いてきたのだと、ごく大まかにはいえるかもしれません。

 それに対し、絵画、彫刻、写真などなどといった、美術を形づくってきたさまざまのカテゴリー、あるいは美術というカテゴリー自体、そしてそれをとり囲む文化上の諸カテゴリーの間を、ぴょんぴょんと、ふらふらと、どどっと、ずるずると、こっそりと飛びこえくぐりぬけることで、20世紀も終わろうとする現在の状況に応答する表現が成立しうるかもしれないのです。

 詳しくはカタログを見ていただくとして、ただもとより、今回展覧会に参加した作家たちの仕事を、<移動>というコンセプトからながめてみようというのは、あくまでカストロ氏の視点です。そもそも、<移動>という考え方を固定したものととらえるのでは、すでに矛盾に陥ってしまっていることになります。作品と展覧会のコンセプトがどのように交差するのか、あるいは別の視点へと移動することができるのか、それを確かめるのは、見る者ひとりひとりにゆだねられているのです。

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