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美術館 > 刊行物 > その他 > その他(報告書など) > はじめに 20世紀後半のスペイン美術とバレンシアの作家たちをめぐる覚書 石崎勝基 1996


はじめに

1994年度三重県職員バレンシア州政府派遣事業の対象として、1995年1月14日から3月30日まで主にスペインのバレンシア市に滞在した、本稿はその報告書である。

1992年バレンシア州と三重県が友好提携を結んだことにちなみ、三重県立美術館では、友好提携に関連しつつ1991年に『100の絵画・スペイン20世紀の美術 - ピカソから現在まで』展を開催したこともあって、スペインの美術を収集および企画の一環として組みいれることになった。今回の研修の主な目的は、上のような経緯にかんがみ、20世紀後半のスペイン美術の概要を把握すること、さらに、1994年1月27日づけの書簡でバレンシア州から提案され、友好提携5周年にあわせ1997年度に開催を現在勘案している『80年代のバレンシア美術(仮称)』展に参加候補としてあげられた作家たちの仕事に関する情報を得ることであった。

もって以下においては、スペイン美術の一般的な特徴について若干の前置きを踏まえた後、スペイン内戦終結(1939)後から90年代前半にいたる状況を、バレンシアの作家の仕事をおさえつつ、瞥見することとしよう。

ただし、本稿の内容に関しては、以下の留保が必要であろう。すなわち、たかだか半年程度のスペイン語、正確にはカスティーリャ語学習(1)によって数多い文献資料を読みこなすことは乏しい能力をもってしてはもとより不可能であり、また、短い研修期間中に実際に見ることのできた作品の量もかぎられたものだった。ゆえに以下の記述は、カタログ等の図版類を主に、若干の拾い読みにもとづく知見によるものでしかない。いかなる意味でも厳密な吟味にたえうるものではないのだ。ただ、現在のスペイン美術に関する、きわめて大まかな道しるべたりうることを願うのみである。この点、ここで扱う内容に関心を抱く方がもしおられたなら、『100の絵画』展図録とともに、『ピカソ、ミロ、ダリとその時代 スペイン20世紀美術展』図録(西武美術館、1989)、豊富な色刷り図版を掲載するバレリアーノ・ボサルの『20世紀のスペイン絵画および彫刻(1939ー1990)』(Valeriano Bozal, Pintura y escultura españolas del siglo XX(1939-1990), Summa Artis. Historia General del Arte XXXVIII, Espasa Calpe, 1992)、さらにレイナ・ソフィア国立美術館の常設展示のガイドブック(Paloma Esteban Leal, Guía. Museo Nacional Centro de Arte Reina Sofía. La Colección, 1994;日本語版『ガイド』あり)、そして註にあげたカタログ類などのページを繰られることをおすすめしたい。


また、スペインの美術を記述するにあたって、アンフォルメル、ポップ・アート、コンセプチュアル・アート等、20世紀前半ではフランス、後半ではアメリカを中心に形成されてきた美術の流れ、すなわちモダニズム(2)の範疇の中で用いられてきた語彙がここでも使用されることになるはずだ。しかしそれは決して、フランス/アメリカのモダニズムを基準にスペインの美術の営為を判断し、もってモダニズムの辺境に位置づけ、配分しようという、植民地主義的な発想によるものではない、あるいは少なくともそうならないことを願っている。それらの語彙を用いるのは、いやおうなく情報化が地球の表面を覆いつくそうとする状況下にあって、それぞれの歴史的な条件のもとでの、各地域におけるさまざまな営なみの差異と接点を、できるだけ具体的にとらえようとする時の目安として、それなりの利点があるだろうと考えるから以上ではない。


さて、今回の研修および本稿作成にあたっては、IVAM(Instituto Valenciano de Arte Moderno :バレンシア州立近代美術研究所)のカルロス・ペレス氏および同図書室のスタッフの方々、バレンシア州政府のホセ・エドゥアルド・カステイ氏およびフアン・マヌエル・ムルリア氏、バレンシア大学のホセ・マヌエル・ローチ助教授、三重県国際課の富田康成氏、筆者にスペイン語を教授して下さったコルテス櫻井里香氏、その他の方々に一方ならぬお世話になった。もって謝意を表したい。
 最後に、本稿脱稿が大幅に遅れたことに関し、ここにお詫びを記しておく(3)

1996.10.16


1. スペイン国内においては周知のように、標準語としてのカスティーリャ語以外に、カタルーニャ語、バスク語、ガリシア語が各地方で公用語として用いられているが、本稿では、準備不足もあって、「ジョアン・ミロ」のように日本ですでに普及しているものなどをのぞき、カスティーリャ語の発音表記にしたがうものとする。またカスティーリャ語中、ll および y の音は、日本人の耳にはしばしばジャ行の音とも聞こえるが、ここでは区別の便宜上、それぞれリャ行およびヤ行の表記を行なう。


2. 英語のモダニズムに対応する modernismo は、スペインではいわゆる<アール・ヌーヴォー>にあたり、近・現代美術にあたるのは vanguardia (アヴァンギャルド)ないし arte contemporaneo (コンテンポラリー・アート)だが、特にことわらないかぎり、日本でなじみのある英語の用法にしたがうものとする。


3. 今回のバレンシア滞在に関しては、本稿以外に、「植民地主義観光客の西方見聞録 - 愛と憎しみのアート・キャバレー 第四回(流謫篇)」、Lady's Slipper、no.3、1995.7、「当世西班牙だより」、『讀賣新聞』、1995.8.2でも記した。また本稿の内容は、 『100の絵画』展図録所収の拙稿「スペインの城をさがそう」と対をなし、かつ補うことになるはずだ。


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