3. 90年代
さて、1990年代になると、これも国際的な状況の変化と呼応するかのように、スペイン美術においても、ややニュアンスの変化を認めることができる。いわゆる先進国の高度情報社会化の浸透にともなって、1980年代後半以降、日本をふくめ美術の領域でも、一見コンセプチュアルな傾向が再び盛んになりつつある。そこでは、実体性を喪失した記号や情報、あるいは逆になまの肉体などを操作することによって、美術や社会の前提となる制度に批判的な光をあてようとする。 スペインにおいてもこれは例外ではないようだ(1)。80年代後半から活動しているペペ・エスパリウー(1955-1993)(2)(fig.54)、ヤウメ・プレンサ(1955- )(3)(fig.55)などにもそうした傾きは読みとれるが、写真を多用したり、キッチュなイメージをクローズアップする、あるいは作品を存在感のある実体としてよりも、何らかの観念を誘発するための装置として設定するこうした傾向が、美術作品としてどれだけ説得力のあるものを持続的に残せるかどうかは問題なしとはしないにせよ、それが今日の社会の変化に対する敏感な対応であることを否定することもまたできない。 また、バルセローやシシリアの作風が80年代初頭の激しさを強調したものから、80年代の後半以降、より沈静化した方向に転じたことは先にふれたが、バディオラやイラスといった彫刻家たちも、90年代に入ると、既製品を組みあわせるなどして、乾いて観念的な作品を制作している。こうした傾向をいわゆるシミュレーショニズムに対応させることができるとして、いずれスペインの地方性などほとんど見分けがたいことは事実だろう。 バレンシアに目を移せば、たとえばバレンシア美術批評家協会が編集した『80年代のバレンシアの芸術』(4)や IVAM で89年に開催された『ものの見方』展カタログ(5)を繰ると、前節で見た作家たち以後に活動を始めた作家たちがすでに現われてきていることを見てとれる。先に90年代のスペイン一般について記したのと同じように、バレンシアでも観念的な傾向は強まっているようだが、目に見えるものの向こうに存在する何かを暗示しようとインスタレーションを設定するナティビダー・ナバローン(1961- )(6)(fig.56)、実と虚を対比するエミリオ・マルティネス(1962- )(7)(fig.57)、写真、鏡、日常品などを用い制度批判をおこなうアナ・ナバルレーテ(1965- )(8)(fig.58)その他、やはり一概にはくくりがたいさまざまな方向へと枝別れしていこうとしているらしい。 |
1. cf. Catalogues of the expositions Muestra de arte joven, Instituto de la Juventud, 1988, 1990, 1992, 1994. Catalogue of the exposition Confrontaciones, Instituto de la Juventud, 1994. また、Jose Luis Brea, Before and after the enthusiasm, Beeldrecht, 1989. |