2. 20世紀初頭
フランスにおけるアール・ヌーヴォーに相当する、カタルーニャを中心にしたモデルニスモがガウディ、そしてピカソ、ミロ、ダリ、ゴンサレスといった作家たちを生みだしたさまは、日本でも兵庫県立近代美術館他で開かれた『カタルニア賛歌 - 芸術の都バルセロナ展』によって紹介された(1)。グリス、オスカル・ドミンゲスを加えた彼らがやがて、東西ヨーロッパ、さらにアメリカや日本の20世紀初頭の美術に小さからぬ影響を与えたこともよく知られている。その場合でも、これらの作家がスペイン国内ではなく、フランスのパリを主な活動の基盤においたことは、スペイン国内の美術界に対して複雑な意識を与えずにはおかなかったらしい。 他方、バルセロナのモデルニスモが比較的国際的な様相を呈していたのに対し、マドリードでは、ナショナリスム的な性格の動きがおこったという。それはたとえば、カスティーリャの荒涼とした風景の称揚につながりもした(2)。先に記したソローリャ批判も、こうした文脈に由来するのだ。詳細をたどる余裕はもとよりないが、一つの国家とされるスペインが内にかかえこむ亀裂を、ここにうかがうことくらいはできるのかもしれない。 さて、先に名をあげた作家たちの仕事については、今さら説明する必要もあるまい。ただ、IVAM の常設展示の中心をなしており、まとまった作品を見ることのできたジュリ・ゴンサレス(1876-1942)(3)(fig.4)についてのみ、簡単に記しておこう。彼はガルガーリョ(1881-1934)とともに、それまで彫刻の素材としては用いられなかった鉄で作品を制作し、ピカソに大きな影響を与えたことで知られている。IVAM のコレクションは小品が主体をなしているのだが、とりわけ石彫や素描などを見ると、彼が決して腕達者な作家ではなかったことがわかる。彫刻の領域では歴史的な背景をもたない鉄を用いる時、その不器用さが、ブロンズや大理石に比べ粗野とされた性格づけと呼応しあって、独自の表現を産みおとしたと見なせるだろうか。空間を構成しようとする意志と、それに抵抗する素材が、何らかの調和に達するどころか、むしろ素材の抵抗を抑えきれないことを露呈してしまっているのだ。それが比較的規模の大きい、錯綜した構成の作品では、強い緊張感を発し、作品に固有の生命を宿らせることになる。しばしば現われるサボテンのトゲ状のモティーフが暗示する攻撃性は、構成による抑圧に対する素材の反撃ででもあるのだろうか。こうした特徴が鉄という素材にのみよるのでないことは、同じ鉄を用いても、流麗であるだけに貶下的な意味での装飾的という形容があてはまる、ガルガーリョのアール・デコ風の作品と比べればあきらかだ。 この他、ウルグアイはモンテビデオ出身のトルレス=ガルシア(1874-1949)(4)(fig.5) - 1926年のパリ滞在を機に、構成主義的傾向に影響をうけ、スペイン、後には生地モンテビデオでの構成主義の定着に大きな役割をはたした。ただしその作品は、厳密に理念的なものというより、絵具の塗りの表情をいかし、ある種の詩情をたたえたものである -、シュルレアリスムのサークルの一員であり、ゴシック・ロマンス風の幻想をつむいだレメディオス・バロ(1908-1963)(5)(fig.6) - ドイツのフランス占領以降、1938年からはメキシコで活動した -、『100の絵画』展で紹介された、やはりシュルレアリスム系のエウヘニオ・F・グラネイ(1912- )(『100の絵画』no.21-23)(6)など、ひとくくりにはできない多様な活動があげられる。また、今あげた3名のようにこの頃の作家たちは、スペイン本国にとどまらず、しばしばパリや中南米にまたがって活動した点に留意しておく必要がある。 同じことは、バレンシア出身のホセプ・レナウ(1907-1982)(7)(fig.7)に・烽てはまる。メキシコ、東ベルリンなどでも暮らした彼の主要な方法は、ロシア・アヴァンギャルドやダダ、とりわけジョン・ハートフィールドの影響を受けて形成されたフォトモンタージュである。キッチュな図像を組みあわせたその作品は、時にあくどいまでの諷刺性がこめられている。 |
1. 『カタルニア賛歌 - 芸術の都バルセロナ展』カタログ、兵庫県立近代美術館ほか、1987。 |