このページではjavascriptを使用しています。JavaScriptが無効なため一部の機能が動作しません。
動作させるためにはJavaScriptを有効にしてください。またはブラウザの機能をご利用ください。

no.4 2005.3.31

マティスからモローへ − デッサンと色彩の永遠の葛藤、そしてサオシュヤントは来ない

2−3.織物と宝石細工


ところでモローの残した説明は、個々の作品に関する場合、主題をめぐるものだったのに対し、マティスのテクストは概して、形式上の方法にまつわるというちがいがある。ギリシャ神話や聖書、聖人伝など、モローがとりあげた主題は基本的には、伝統的な歴史画の範疇を出るものではない。ただモローの場合、個人的なというべきか、神知論的な伝統に連なるというべきか、固有の解釈が加えられ、大きくは<宿命の女>(もっぱら女性)および〈詩人〉(男性の場合も女性の場合もある)の二極に分類できる体系をなすことになる。晩年には、自然の活性化のヴィジョンと結びついた、<聖なるものの顕現>の終末論的な主題が重要な役割をはたした。その意味で、先に引いたような「造形とアラベスク」を強調するモローの発言を、形式の純粋な自律を目指すものと読みこむのは、やはりいき過ぎというものだろう。マティス、さらにカンディンスキーやモンドリアンなど初期抽象の作家たちはもとより、ルドンやゴーギャンに比べても、形式と歴史画的な理念との距離はより狭かったととらえておいた方がよさそうなのだ。ピーター・クックによれば「モローにとって、絵画的なものと文学的なものが共存できないなど、ありえないことだった」(84)


他方ルドンは、「造形的な構想に隙間があると、必ず文学的観念が入り込む」と述べている(85)。すなわち十九世紀の後半にあって、理念はもはや教会や国家によって体現される価値のコードによって保証されえず、だからこそモローは、「いっさいの記述はその際、何の意味もなさないことでしょう」と語らざるをえなかった。形式と理念との間にすでに、一本の亀裂が走っているのだ。亀裂によって分かたれた理念と形式は、それぞれのあり方の傾斜に即して展開する。《ユピテルとセメレー》(図13)においても、画面と説明(86)は決して対応していないわけではない。しかしその対応は、部分と部分が一つ一つ対応するというより、それぞれにおける細部の過剰な堆積をひきおこす運動自体が、全体同士でとり結ぶ関係に変じていはしないだろうか(87)


実際この画面が、「美術史上稀有な作品であるばかりか、一種の袋小路を示すものでもある」(88)という印象を与えるとすれば、それは、硬直して生気のない主人公二人の描写のみによるのでもなければ、画面全体の調子に対してあきらかに不協和な、ユピテルの後光のなまな赤のみによるのでもない。画面の縦長にくわえ、ほぼ左右相称の構図によって奥行きを抑えた中で、まず、夜空の暗い青と、大まかには無彩色に接近する暗褐色へ帰入しようとするそれ以外の部分とが対比される。ついで、青の比較的平坦な塗りと透明感に対し、それ以外の部分で、単一の調子に均されるにはあまりにも数の多い細々とした細部が、しかし調子の暗さゆえ前に突出することもかなわず、そのことでいっそう、暗がりの内でうごめきを秘めたままただ堆積していくという、装飾の過剰さこそが、画面に、生命を欠き、だから逃げ場のない、しかし異様な存在感をもたらしているのだ。「あんたは絵を単純化しようとしている」という、モローがマティスに告げた、いささか神話化されたきらいのある予言(89)に対して、モロー自身は反動的なまでに逆行しようとしたかのごとくである。それはほとんど、小栗虫太郎の『黒死館殺人事件』を思わせるといっても過言ではない(90)。絵の領域なら、モンス・デジデリオの晩年のものと推定されるいくつかの作品と比較しうるだろうか(91)。しかもこの時画面は、モローの説明からうかがわれるような、ユピテルの玉座の上層、鷲とパンがいる中層、ヘカテーや魑魅魍魎の下層からなる、天・地・冥界の上下に分割された階層を強く印象づけるという以上に、とりわけ両端の柱が典型的にしめすように、三層に分割せんとする境界に頓着なく溢れだして画面を覆う装飾の集積自体が、画面全体に対し垂直に、観者の方へと発現しようとする。だが同時に、全体の暗さ、視線を誘いこむ細部の錯綜は、発現しようとするヴェクトルをその場で淀ませずにいない。生命を宿さないはずの装飾が命ある化生と混淆している点については、モローにおける小さな精霊、<キマイラ>の図像とあわせて、別の機会に見ることとしよう。


さて、ボワはあるところで、<装飾的>の語は「よく知られているように、ナビ派以後、絵画にあてはめられた場合、今世紀の前衛作家たちからは概して、他愛もないキレイさと同じ意味で用いられた。大きな例外はマティスで、彼はおそらく、この語に、特殊な響きをこめてではあれ、はっきりと積極的な意味を与えたただ一人の作家である」と記したことがある(92)。「他愛もないキレイさ」という言いまわしにジェンダー論的な契機が潜んでいることは頭に留めおくとして(93)、もっともマティス自身一度は、「そう、それは装飾物です。そんなのはどうでも構いません」ともらしてもいる(94)。シュネデールは、この「矛盾は見かけの上でのことにすぎない」というのだが、<装飾的>の語が積極的に用いられる時は自らの作品を指し、消極的に用いられる時はアール・ヌーヴォーやアール・デコの製品を指すというのでは(95)、ジャンルの位階自体は問題にされていないことになる。絵画における平面化の進行という事態のさなかで、グリーンバーグが同じ語に宿らせざるをえなかった両義性が想起されるところだ(96)


とまれ十九世紀から二十世紀にかけて、<装飾>ないし<装飾的>の語は、<デザイン(的)>、<工芸(的)>ともども、決して一義的とはいいがたいニュアンスを帯びていた(97)。オーリエがゴーギャンの作品をモデルに、あるべき芸術作品の要件の一つとして装飾性をあげたのは、その一例であろう(98)(ここでの装飾性は、壁面装飾、すなわち壁画を指すのだが(99))。その際、一つに芸術とその外部との境界/枠にかかわる問題、もう一つは、とりわけ、線遠近法と明暗法による三次元的な空間の設定が失効することで平面化の傾向を強め、そのため描く対象と描写方法との対応が保証を失ないつつあった絵画を軸に、大芸術ないし純粋芸術と小芸術ないし応用芸術との境界/枠、あるいは表現と物体性との境界/枠にかかわる問題が焦点をなしていたように思われる。いささか大仰ないい方をすれば、それはさまざまな相での階級にまつわるイデオロギーの闘争の臨界だったといえなくもなく、その全面的な権利請求には、一九六〇〜七〇年代におけるフェミニズムとの交差を待たなければならなかった(100)


ともあれマティスにとって、やはり一義的とはいえないにせよ、装飾性の問題が大きな比重を占めていたことは事実だ。そしてこの点を、先に《ユピテルとセメレー》に見た、装飾的な細部の氾濫と結びつけてみようというのは、しかし、あまりに装飾ということば尻だけとらえた附会といわざるをえないだろうか。マティスにおける装飾性とは、「構図は画家が自分の感情を表現するために配置するさまざまの要素を装飾的な仕方で整えるわざである」との一節にうかがわれるように(101)、まず、平面としての画面構成に関わるものだった。ボワによればマティスが装飾的と呼ぶところでは、「マティスのタブロー、少なくとも循環−緊張−膨張のシステムによって制作されたもの、すなわち一九〇六年から一九一七年にかけての大半の作品は、私たちを没入させることなく私たちを没入させる − それらは私たちに、散らされたまなざし、周縁視的なまなざし、集中力を奪われたまなざし、迷子になって、くつろげずにいるまなざしを強いる」ことになるという(102)


対するにモローの場合、アリ・ルナンが伝えるところの<必要な豪奢さ>の原則は(103)、何よりも、非日常的な雰囲気を喚起するための方法である。これがしばしば、モローに浴びせられた「宝石細工(師)」だの「金銀細工(師)」との評をもたらし(104)、さらに、ドガに「君は玉細工でそれ[絵画芸術]が革新出来るとでも思っているのだろう」、また「彼奴はギリシャの神々に時計の鎖を下げさせている」と(105)、あるいはゴーギャンに、「すべての人間的な存在を、彼は、装身具におおわれた一個の装身具に変えてしまう。要するに、ギュスターヴ・モローは、みごとな彫金師だ」と(106)、揶揄せしめることになった。ドガやゴーギャンの発言からは、絵画を宝石細工=工芸・装飾の上位に置く位階制の意識を読みとることもできなくはない。


それはさておき、豪奢さの要請に関してはただちにフェティシズムの語が思い浮かぶとして、さらに、ペストに席捲された十四世紀後半のイタリアにおける美術や葬送儀礼の場面での「華麗さ」について、一方で「財や力の顕示であり消費欲のあらわれ」、他方「反復強迫」等を岡田温司が論じていることを参照しておこう(107)。歴史的な文脈は異なるにせよ、十九世紀後半のブルジョワジーの心性を分析するために援用できる点は少なくないものと思われる。細部の増殖については、また、郵便夫シュヴァルの理想宮をはじめとする、いわゆるアウトサイダー・アートを想起することができよう(108)。先にモロー晩年の終末論的ヴィジョンにふれたが、アウトサイダー・アートの場合にも時として、黙示思想的・千年王国運動的な思念がその駆動源となることがあった。ただその際、思想的な背景だけでなく、増殖そのものの自動運動もまた、与って力あることを忘れないでおこう。


ところでマティスも、「宝石やアラベスクが私の素描の重荷となることはけっしてない。これらの宝石やアラベスクが私の編曲の一部をなすからである。うまく配置されれば、それらは素描の構成に必要な形もしくはヴァルールのアクセントを示唆する」と語ったことがあり(109)、逆にモローは、「遠近法の研究は、プリミティヴの画家たちには大いに必要なものだったが、今日では、線とその調和、装飾的で造形的なその美の、深い感情へと還元されている」と記した(110)。「私にとって、表現とは顔に溢れる情熱とか、激しい動きによって現される情熱などのなかにあるのではない。それは私のタブローの配置の仕方全体のうちにある」というマティスのことばを(111)、「形象や群像のアラベスクによってしか、想像力に語りかけてはならない。顔の表現は、最後にしか来ない」というモローの発言(112)の隣に並べることもできるかもしれない。


ただ、作者の発言を個々の文脈も顧みず結びつけたところで、せいぜい、アラベスクの場合がそうだったように、当時の土壌に帰せるという程度のことだろう。あるいは、マティスを歴史的な脈絡の内にもどすと称してモローを引きあいに出すことも、マイナー・ポエトとしてのモローを称揚するために巨匠としてのマティスの先駆者扱いすることも、前もって想定された近代美術史を回収先として設定することにしかなるまい。アナクロニスムを積極的に採用しようとしているわけでも(113)、歴史記述の限界を追認しようとしているわけでもなく、ここで辿ろうとしているのは、たまたま師弟でありながら、実際の作品間の直接的な関係はまったくなかったといってよい二人の画家の制作が、それぞれの状況の中で、たまたま平行して開いてしまったと見なせなくもないズレを併置してみることでしかない。


その時注意をひくのは、ブラックモンが「個々の具体的な装飾を『オルヌマン』と呼び、それらによって構成されるより集合的抽象概念として『デコラシオン』を規定している」(114)ことを踏まえ、天野知香が一九二五−二六年の《模様のある(オルヌマンタル)背景における装飾的(デコラティヴ)人体》(ポンピドゥー・センター国立近代美術館、パリ)について、以下のように述べている点である;


「この作品では、粉飾を取り除かれ、対象から純化され、全体としての表現上のいわば経済的必要に応えた装飾的(デコラチヴ)な形態の追求と、秩序を与えられた原初的なエネルギーとして背景に溢れるオーナメントへの陶酔とが、強い力でぶつかりながら、巧みに均衡しているのである。


「一九四〇年代のいわゆる『線と色彩の葛藤』は、同時に、近代的で合理的かつ厳格な造形論理の追求と、本能的で官能的な快楽の開放の、調和のための葛藤であったともいえよう」(115)


とすると、デコラティヴな布置への要請が時としてオルヌマンタルな要素を呼びこんだマティスと、時としてオルヌマンタルな要素が過剰なまでに堆積されるモローとが、ニアミスを起こす地点として、同じく「装飾(的)」と訳されるにせよ、デコラティヴなもの以上に、本体に対する余剰とも見なされようオルヌマンタルなものの在所を探すべきなのかもしれない。一九世紀後半のブルジョワジーとしてのモローは、唯物論的な心性の内に浸されていたがゆえに神秘的なるものを希求せずにはいられず、しかしそれを表現するには、物質からなるオルヌマンを積みあげる以外のすべをもたなかった。積みあげるほどに空虚さが露呈し、それを繕うためますます宝石を積みあげる。そして、先の天野の引用では「均衡」や「調和」といったプラスの価値を帯びて用いられていたことばを、マイナスといわないまでも、安定を欠くものに置き換えてみた時、そこで、マティスとモローそれぞれの軌跡が交差するさまを見出すことができはしないだろうか。


他方、<宝石細工師>としてのモローを語りうるのは、あくまでサロン出品作など、いわゆる完成作の領域においてのことだ。色彩の冷たい感触という点では一貫するものの、完成作以前の領域にあってはその相貌が変わることに留意する必要があろう。また完成作において累積される宝石細工/オルヌマンと完成作以前の領域とが二重映しにされる時、そこに<入墨>という奇態な症候が現われる。宝石の数を増やせば増やすほど、すなわち線が細かくなればなるほど、色が線についていけなくなる、あるいは線が色をおさめきれなくなるのである。そもそも『ユピテルとセメレー』の宝石細工に何がしか衝迫感があったとすれば、それは、細密な線による規定に拮抗するだけの応力を色がもっていたからだろう。そしてこの色の力は、一つに暗い調子による統合の中での個々の色の輝き、もう一つは輝きを支える絵具の稠密な質感から生じた。そこでさらに、拮抗のバランスが破れた時、色/絵具は、線による境界から溢れだすことになる。




84. Cooke,‘Gustave Moreau entre dessin et couleur, entre décoration et évocation’, op.cit., p.18.


85. ルドン、op.cit., p.99[Redon, op.cit., p.78].




図13 モロー、《ユピテルとセメレー》
1895、油彩・キャンヴァス、212×118cm
ギュスターヴ・モロー美術館、パリ
MGM.91/PLM.408/PLM'98.446/PLM peint.280

86. Cooke ed., op.cit., vol.1, pp.141-148 / Mathieu ed., op.cit., pp.113-115.
邦訳は、喜多崎親、「ギュスターヴ・モローの《ユピテルとセメレー》」、『美術史研究』、no.25、1987、pp.109-111.


87. cf. Pierre-Louis Mathieu, Gustave Moreau, Paris, 1994, p.233.


88. マチュー、op.cit., p.184[Mathieu, 1976, op.cit., p.184].



89. 『マティス 画家のノート』、op.cit., p.89[Fourcade ed., op.cit., p.81].


90. cf.
拙稿、「ふわふわ、きちかち、ずずずず、あるいは黒死館の影のもとに」、『二〇世紀日本美術再見V − 一九三〇年代』展図録、三重県立美術館、1999.


91. cf. Félix Sluys, Monsu Desiderio, Paris, 1961. Peter Seghers, Monsu Desiderio ou le théâtre de la fin du monde, Paris, 1981. J.Patrice Marandel, Catalogue of the exhibition François de Nomé, The Menil Collection, 1991. Maria Rosaria Nappi, François De Nomé e Didier Barra. l'enigma Monsu Desiderio, Milano, Roma, 1991. 谷川握、『モンス・デジデリオ画集 ピナコテーカ・トレヴィル・シリーズ1』、トレヴィル、1995.


92. Yves-Alain Bois,‘The limit of almost’, Catalogue of the exhibition Ad Reinhardt, The Museum of Contemporary Art, Los Angeles, The Museum of Modern Art, New York, 1991-92, p.32 note 87.


93. cf. グリゼルダ・ポロック、ロジカ・パーカー、『女・アート・イデオロギー』、萩原弘子訳、新水社、1992、第一章. Elderfield,‘Describing Matisse’, op.cit., pp.19, 22.


94. 『マティス 画家のノート』、op.cit., p.375 note 31[Fourcade ed., op.cit., p.308 note 31].



95. Schneider, op.cit., pp.178-179.


96. cf. Donald B.Kuspit, Clement Greenberg. Art critic, Wisconsin, 1979, chapter 4‘The decorative’.



97. cf. 天野、『装飾/芸術』、op.cit. また天野知香、「『マチスと装飾』のための試論」、『美術史の六つの断面 高階秀爾先生に捧げる美術史論集』、美術出版社、1992. 大久保、op.cit., pp.53-63、71-72. Benjamin, op.cit. さらに、Simms, op.cit., pp.196-204, 233-238. Robert L.Herbert,‘The decorative and the natural in Monet's Cathedrals’, Aspects of Monet, New York, 1984. David Morgan,‘The idea of abstraction in German theories of the ornament from Kant to Kandinsky’, The Journal of Aesthetics and Art Criticism, no.50-3, Summer 1992. Gill Perry,‘Primitivism and the“Modern”’, Part 2, Charles Harrison, Francis Frascina and Gill Perry, Primitivism, Cubism, Abstraction. The early twentieth century, New Haven and London, 1993. 稲賀繁美、「モダニズム − その図柄と装飾と」、『モダニズム研究』、思潮社、1994. 天野知香、「『女性の芸術』− 一八九〇年代の二つの展覧会と装飾芸術振興運動 −」、『藝術学研究』、no.5、1995.3. 馬渕明子、『ジャポニスム 幻想の日本』、ブリュッケ、1997、第4・7章. 稲賀繁美、『絵画の東方 オリエンタリズムからジャポニスムへ』、名古屋大学出版会、1999、第6章. Catalogue of the exhibition Ornament and Abstraction, Fondation Beyeler, Riehen/Basel, 2001.


98. Albert Aurier, ‘Le symbolisme en peinture. Paul Gauguin’(1891), Textes critiques 1889-1892. De l'impressionisme au symbolisme, Paris, 1995, pp.35-36.


99. ibid., pp.38-39. cf. Labrusse, op.cit., pp.29-32.


100. cf. John Perreault,‘Issues in Pattern Painting’(1977), Richard Hertz ed., Theories of Contemporary Art, New Jersey, 1985. Corinne Robins, The pluralist era. American art, 1968-1981, New York, 1984, chapter 5‘Pattern Painting and Decorative Art’.
ノーマ・ブルード、「ミリアム・シャピロと『フィメージ』 二〇世紀美術における装飾と抽象の葛藤」、N.ブルード、メアリー・D・ガラード編、『美術とフェミニズム』、坂上桂子訳、PARCO出版局、1987. ポロック、パーカー、op.cit., 第二章. Norma Broude,‘The Pattern and Decoration Movement’, Norma Broude, Mary D.Garrard ed., The power of Feminist Art, New York, 1994. また、イヴ・ミショー、「装飾と色彩」、松浦寿夫訳、『風の薔薇』、no.3、1984夏. Jacques Soulillou, Le décoratif, Paris, 1990. Catalogue de l'exposition L'envers du décor. Dimensions décoratives dans l'art du XXe siècle, Musée d'art moderne de Lille, L'Institut d'art contemporain, Villeurbanne, 1998-99. さらに、バクサンドール、op.cit., pp.226-228. 玉蟲敏子、「『日本美術の装飾性』という言説」、東京国立文化財研究所編、『語る現在、語られる過去 日本の美術史学100年』、平凡社、1999. 倉方俊輔、「反近代としての装飾/反表象としての装飾 建築装飾における思想・理論・技術」、10+1、no.16、1999. 北澤憲昭、「シニフィエとしてのシニフィアン − 『装飾』について」、『アヴァンギャルド以後の工芸 「工芸的なるもの」をめぐって』、美学出版、2003. James Trilling, Ornament. A Modern Perspective, Seattle & London, 2003.


101. 『マティス 画家のノート』、op.cit., p.41[Fourcade ed., op.cit., p.42].


102. Bois,‘L'aveuglement’, op.cit., p.27. cf. ボア、op.cit., p.77[Bois, Matisse and Picasso, op.cit., p.77]. Elderfield, The cut-outs of Henri Matisse, op.cit., pp.35-36. Elderfield,‘Describing Matisse’, op.cit., pp.37-38.


103. Ary Renan,‘Gustave Moreau’, Gazette des Beaux-Arts, tome 21, 1899, pp.202-204. cf. Cooke ed., op.cit., vol.2, p.248 / Mathieu ed., op.cit., p.174.
喜多崎親、「ギュスターヴ・モローの《ヘロデ王の前で踊るサロメ》に見る『必須の豪奢』」、『美学』、no.151、1987秋. Rae Beth Gordon,‘Aboli bibelot? The influence of the decorative arts on Stéphane Mallarmé and Gustave Moreau’, Art Journal, vol.45 no.2, Summer 1985. Cooke,‘Gustave Moreau entre dessin et couleur, entre décoration et évocation’, op.cit., pp.16-18. Cooke,‘Gustave Moreau entre art philosophique et art pur’, op.cit., pp.231-232.


104. たとえば、作品発表当時の評を豊富に掲載した Jean Laran et Léon Deshairs, Gustave Moreau(L'art de notre temps), Paris, 1913, pp.46, 65, 73, 81, 85, 94.また Edmond et Jules de Goncourt, Journal, tome 5;1878-1884, Paris, p.105(15 mai 1881). Joris-Karl Huysmans, L'art moderne, Paris, 1883, pp.153-155. Joris-Karl Huysmans, À rebours(1884), Paris, 1975, p.123,[ユイスマンス、『さかしま』、澁澤龍彦訳、『澁澤龍彦集成』、第VI巻、桃源社、1970、p.46]. Robert de Montesquiou,‘Un peintre lapidaire. Gustave Moreau’, Catalogue de l'exposition Gustave Moreau, Galerie Georges Petit, Paris, 1906 など.


105. ヴァレリイ、『ドガ・ダンス・デッサン』、吉田健一訳、新潮社、1955、p.47[Paul Valery, Degas Danse Dessin, Paris, 1938, p.58].


106. ゴーギャン、『オヴィリ 一野蛮人の記録』、岡谷公二訳、みすず書房、1980、p.59[原文は Bernard Noël ed., Gustave Moreau par ses contemporains, Paris, 1998, p.120 に引用].


107.岡田温司、『ミメーシスを超えて 美術史の無意識を問う』、勁草書房、2000、pp.117-131.


108. cf. Jean-Pierre Jouve, Claude Prévost et Clovis Prévost, Le Palais Idéal du Facteur Cheval. Quand le songe devient la réalité, Paris, 1981.
岡谷公二、『郵便配達夫シュヴァルの理想宮』、作品社、1992. また Michael Schuty, Joost Elffers and Georges R.Collins, Fantastic Architecture. Personal and eccentric visions, New York, 1980. Deidi von Schaewen and John Maizels, Fantasy Worlds, Köln etc., 1999.


109. 『マティス 画家のノート』、op.cit., p.184[Fourcade ed., op.cit., pp.160-161].


110. Cooke ed., op.cit., vol.1, p.171 / Mathieu ed., op.cit., pp.158-159.


111. 『マティス 画家のノート』、op.cit., p.41[Fourcade ed., op.cit., p.42].


112. Cooke ed., op.cit., vol.2, p.245 / Mathieu ed., op.cit., p.152. cf. Elderfield,‘Describing Matisse’, op.cit., pp.41-42.



113. cf. 中島恵、「ジョルジュ・ディディ=ユベルマン『時間の前で−美術史とイマージュのアナクロニスム』(論文・新刊紹介)」、『美学』、no.206、2001.9. 五十嵐嘉晴、「G.ディディ=ユベルマンの芸術論(1) − アナクロニスムの勧め −」、『金沢美術工芸大学紀要』、no.46、2002.3. 森元庸介、「[書評]Georges Didi-Huberman Devant le temps」、『西洋美術研究』、no.9、2003.5.


114. 天野、「『マチスと装飾』のための試論」、op.cit., p.35 note 35. cf. 斎藤稔、「西洋装飾の形式と表出性(二)」、『美学』、no.120、1980春、p.44.


115. 天野、ibid., p.288.

ページのトップへ戻る