マティスからモローへ - デッサンと色彩の永遠の葛藤、そしてサオシュヤントは来ない
2-2.師資相承……アラベスクとことば モデリングを排した線による素描に関連して、マティスの愛用した<アラベスク>の語が、モローにとっても大きな意味をもっていた点が思いだされる(71)。たとえば; 「身ぶりに関する即興的なもの。 「線、アラベスク、造形的な諸手段による思考の喚起、そこに私の目的がある」(73) もっとも、モローがアラベスクについて口にするのを仮にマティスが聞いたことがあったとしても、これはむしろ、当時のより広い風潮に帰するべきものだろう(74)。ルドンもまた、「たとえば、唐草模様[原語はアラベスク]か、複雑に蛇行する線で、平面上にではなく、空の深み、無際限を精神に感じさせるような空間のなかに展開されるところを想像してください。…(中略)…そのように私の素描は、はっきり説明がつかないままで、唐草模様の幻想の中におかれた、人間の表情の反映のようなものです」と語った(75) ともあれ「造形とアラベスクに対する純粋な愛」を強調するモローにとって、<文学的>との形容を浴びせられることは、ずいぶん苦痛だったらしい(76)。《ユピテルとセメレー》(図13)を購入したレオポルド・ゴールドシュミットが求めた作品の説明に対し、モローは以下のような前置きを記している; 「これを誰にも、私から出たものだとは伝えていただかないよう、お願いいたします:私はすでに、芸術家としての生涯において、画家としては文学的すぎるという、ばかげていて不公平な意見に悩まされてきました。私があなたの気に入るよう、ここに書くことはすべて、ことばによって表現されることも説明されることも要さないものなのです。この絵は、造形的な創造を少しばかり読むすべをしっている者にとっては、きわめて明快で明晰です:夢みることを少しばかり愛し、そして単純さだとか明快さ、素朴さ、胸の悪くなる単純なバ、ベ、ビ、ボ、ブといったものを口実にして、想像力からなる作品に満足してしまわないでおくこと、必要なのはそれだけなのです」(77) 同様に《聖カエキリアと奏楽の天使たち》(PLM.413/PLM'98.450/PLM peint.284)について; 「この小品の詩的な印象は、もし詩的印象というものがあるのなら、それは総じて、調子の選択、色価と主な線のアラベスクの内に存在しているのであって、それらが構図に、ほとんど宗教的な性格をもたらすのです。 にもかかわらずモローは、母親のため、コレクターのため、未来の個人美術館のためにいくつかの作品の説明を書き記した。しかもそれらはしばしば、あたかも絵との対応を斟酌しないかのように、思考の自動運動が過剰なまでに発動した痕跡を残している(79)。おそらくはこの点も原因の一つとして、彼は、構想と実現の懸隔を埋められないまま、画面の上に装飾を増殖させ、あるいは完成にいたらずじまいの画布とそのための習作とをおびただしく積みあげざるをえなかった。ここに見られるモローに典型的な矛盾の一つは、他方、フルカドが指摘したマティスの矛盾に平行する; 「この手紙はマティスが同時に位置している二つの極をよく示してくれるものである。一方では自分の芸術について愛想よく説明する画家…(中略)…。そして、さらにとりわけ彼独自の感覚については、…(中略)…この上なく率直な芸術家で、自分の作品の誤った解釈はすべてとことんまではっきりさせ、それを避けようとする人だった。他方では、円熟期のはじめから絵以外の仕方で自分を表現することに窮屈な思いと深い不満を感ずる人間だった」(80) 「画家は彼の絵を通してしか存在しないものです」とマティスが語ったように(81)、モローも、「その人となりが作品の背後に完全に消えてしまうことが望ましい」と考えていたという(82)。しかしまたモローは、「芸術家の生涯を通じての仕事と努力の総体をいつなりと確認することを許すような、綜合的性格を保つ」(83)ものとして、自らの個人美術館を構想したのだった。作者が「作品の背後に完全に消えてしまうことが望ましい」として、しかし複数の作品を統べる最終審級は、不可視の作者の存在だということになる。 |
71. Roger Benjamin,‘The decorative landscape, Fauvism, and the arabesque of observation’, The Art Bulletin, Vol.LXXV no.2, June 1993, p.310. cf. 澤渡麻里、「ギュスターヴ・モローにおける線描表現について - 後期作品における線描の意味と機能」、『日仏美術学会会報』、no.21、2001、p.36. |