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美術館 > 刊行物 > 研究論集 > 第4号(2005年3月発行) > マティスからモローへ 1-2 石崎勝基 研究論集4 アンリ・マチス ギュスターヴ・モロー

no.4 2005.3.31

マティスからモローへ - デッサンと色彩の永遠の葛藤、そしてサオシュヤントは来ない

1-2.デッサンと色彩の永遠の葛藤、一九四一


マティスの文集を編集したドミニク・フルカドは、先のボナール宛ての手紙を、一九四一年のアンドレ・ルーヴェールに宛てた手紙の中でマティスが用いた言いまわしを借りて、「デッサンと色彩の永遠の葛藤 l'éternel conflit du dessin et de la couleur」という項目に分類している(6)。これが具体的に制作のいかなる局面に呼応しているかは、まず、天野知香による記述を引こう;


「とりわけ一九三〇年代以降、マチスは二〇年代の柔らかい絵の具使いから純粋な色彩の平塗りによる描法へと転換する一方で、挿し絵などの制作を通してデッサンの表現力を格段に増していったのだが、デッサンによる表現が完全なものとなるにつれて、彼の色彩の関係性にもとづく彩色行為とデッサンのリズムは乖離を示して行く。その結果『ルーマニアのブラウス』(一九四〇年、パリ、国立近代美術館)をはじめとするこの頃の彼の作品は、今日残された制作過程の写真が物語るように、このうえない安定と単純さと明確さを帯びた作品として完成されるために、ぎりぎりとせめぎあうような色彩や形態の均衡の建て直しを繰り返す無数の描き直しを経なければならなくなったのである。ここで注目すべきはデッサンと色彩の葛藤それ自体の問題よりも、それを問題と感じるマチスの自発的な制作のリズムに対するこだわりである」(7)


ジョン・エルダーフィールドもまた、先のボナール宛ての一節で「彼が考えていたのは、同じ年の《ルーマニアのブラウス》のような絵における素描と色の相互作用である。そこでは色が、前もって素描された区画の内側を埋めることになる」のだという(8)。「衣装と画面はともに、素描によって縫いあわされた色のパネルから注意深く作りあげられ、装飾的な全体をなすのだ」(9)。エルダーフィールドにとっては加えて、マティスの素描における線と陰影の関係も、油彩におけるデッサンと色の関係に平行するものであるらしい(10)。さらに;


「それらのイメージを形成するにあたって彼は、ニース期の絵画を特質づけていた、素描と色を同時に光の内に溶かしこむという方法を放棄した;そのかわりに、初期の装飾的な時期のそれにも似た、素描と色との対位法へと転じたのである。しかし、二つの要素はかつてのようには、和解することがなかった。この時期、一般化され高度に抽象的な空間へのマティスの探求は、ヴォリュームを暗示する素描を排除するようになっていた。そうしないと、絵の空間をピン留めし特殊化してしまい、その非物質的な特質を消してしまうことになる。この結果としては、一九三〇年代末の大規模かつ単純化された作品、たとえば一九三九年の《音楽》をあげることができよう。こうした作品においてマティスは、開いた、平らな色の区画を、隣あうものと調整し、もって空間は、ほとんどもっぱら、ただ色のみの領土となる - 素描と色が溶けあうことで空間を創造した、初期の装飾的な作品以上に。一九三〇年代末の絵画は、一九一〇年の《ダンス》や《音楽》すらもこえて、はるかにはっきりと平坦であり正面性を帯びている。後者においては、形象の輪郭はヴォリュームを暗示していた。一九三〇年代末には、素描は、表面のアラベスクの一部としてのみ形の輪郭をとり、それもしばしば、色の表面から完全に独立して、その上に重ねられた。さらに、この種の絵画の根気強く熟考を重ねる方法は(マティスがこの時期残した制作過程をたどる写真にそれを確かめることができる)、同時期の素描の注目すべき自発性と際立った対照をなしている - 心的なイメージを最大限経済的に開放するためには、素描という営みにこの自発性が欠かせないことを、彼は見出しつつあった。切り紙絵の二段階からなる過程 - 自発的な部分と熟考される部分 - は、マティスの一九三〇年代の芸術にその源をもっているのである。
「切り紙絵においては、自発的な部分と熟考される部分は、一つのゴールに奉仕する;一九三〇年代末には、しかし、それらは別々のゴールに奉仕していた。彼の芸術の構成要素は、ばらばらに漂っていたのだ」(11)


《ルーマニアのブラウス》は《黄色いドレスを着たカティア》に比べれば、両手の部分をおくと、やはり、いわゆる完成状態に達したものと映る。とまれ<デッサンと色彩の永遠の葛藤>はマティスにとって、見かけ上の完成未完に関わりなく、あるいは、見かけ上の完成と未完に関し、この二作品の間に開く振幅をひきこすような事態だったのだろう。




6. 『マティス 画家のノート』、二見史郎訳、みすず書房、1978、p.211[Dominique Fourcade ed., Henri Matisse. Écrit et propos sur l'art, Paris, 1972, p.182]. ルーヴェール宛ての手紙は、ibid., p.218[Fourcade ed., ibid., p.188].


7. 天野知香、「彩られた感覚 -セザンヌとマチス」、『ユリイカ』、vol.28 no.11、1996.9、p.185.


8. Elderfield,‘Describing Matisse’, op.cit., p.29. cf. John Elderfield, The drawings of Henri Matisse, London, 1984, pp.118, 126-127.


9. Elderfield,‘Describing Matisse’, op.cit., p.43.


10. Elderfield, The drawings of Henri Matisse, op.cit., pp.66, 73, 104-105, 118.


11. John Elderfield, The cut-outs of Henri Matisse, New York, 1978, p.20. cf. ibid., p.22. cf. Rémi Labrusse, Matisse. La condition de l'image, Paris, 1999, pp.174-179.
引用文中の《音楽》:一九三九、オルブライト=ノックス・アート・ギャラリー、ニューヨーク。《ダンスⅡ》:一九〇九-一〇、エルミタージュ美術館、サンクト・ペテルブルグ。《音楽》:一九〇九-一〇、エルミタージュ美術館、サンクト・ペテルブルグ。

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