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美術館 > 刊行物 > 研究論集 > 第4号(2005年3月発行) > マティスからモローへ 1-1 石崎勝基 研究論集4 アンリ・マチス ギュスターヴ・モロー

no.4 2005.3.31

マティスからモローへ - デッサンと色彩の永遠の葛藤、そしてサオシュヤントは来ない

石崎勝基

吸血鬼と生きている人間とのあいだの差異は
無限判断と否定判断の差異なのである
スラヴォイ・ジジェク(田崎英明訳)

1.マティス、デッサンと色彩の永遠の葛藤

1-1.輪郭と色彩のずれ、一九四〇/一九五一

 

ジャン=クロード・レーベンシュテインの「画家のテクスト」は、アンリ・マティスのテクストを集めた二種の文集が出版されたことを機に著されたものだが、その中に次の一節がある;

 

「色彩は形態を作り、修正する。一方は他方なしにはうまく進まない。だが、一九四〇年に、マチスはボナールに宛てて、『あなたのお手紙に、今朝、私は挫かれ、すっかり落胆してしまいました。(…)私のデッサンと絵画は分離してしまっています』と書いている。マチスによって描かれた最後の画布である『黄色いドレスを着たカティア』(一九五一年、グラン・パレ、二〇四番)のうちに、この分離の図像化を見ることができよう。この作品では、目鼻だちのない顔が二重化され、輪郭線は取り囲むべきはずのレモン・イエローの色彩に対して、著しくずれている」(1)

 

件の作品の図版を見れば(図1)、左上に黒で署名と年記は記されているものの、ずいぶんと粗放な筆致で描かれており、線と色のずれに加え、両手をはじめとしてキャンヴァスの白地が残っている箇所も少なくない点(滲みだか薄いグレーのかかった部分もあるが)、完成したものと見なしてよいのかどうか、こころもとないところだろう。背景に青、ブラウスもふくめて上半身の黄が画面の大半を占める中、下方でスカートの緑に青の文様、そしてブラウスとスカートの境で赤い線が、輪郭および署名の黒とあわせて、黄と青の冷たいひろがりをひきしめる役割をはたそうとしている。薄く明るい黄・青と、濃く暗めの青・緑・赤とを、暗く薄い右下端の褐色が仲介する。ただ、明暗対比と色相対比は必ずしも噛みあっておらず、赤や文様の青はややなまに映りはしないだろうか。

 

さて、筆致がもっとも目につくのは青の部分で、ほとんど性急にといえそうな勢いを感じさせる。性急という形容が浮かんだのは、筆致と筆致のあいまに白地がかなり透けて見えるからだが、青の明るく薄い透明感ゆえ、色として青がひろがることを妨げてはいない。逆に、青のひろがろうとする勢いが予想できたからこそ、塗りは性急でもよいと判断されたのかもしれない。

 

これに比べ黄は、あいまに残された白地の見えぐあいが、色としての連続したひろがりを分断しているかのように映る。図版で見るかぎり、問題の頭部において、薄められた黒の輪郭は黄を塗った後から引かれたものだが、他方胸部や左肘などでは、黒の上からもう一度、薄く溶いたグレーないし黄で修正されており、黒と黄の描き順は、単純に二段階には区分けできそうにない。ただ黄自体、あらかじめはみだしてはいけない限界が定まっていたとでもいうかのごとき塗り方で、この点では、黒の輪郭以前に、白地が境界として機能していたともいえよう。その結果黄はその場に溜まり、後退しようとする青に対し前面に留まるだけの輝きを得はしたのだが、筆致の粗放さ以上に、こうした黄の萎縮したといえなくもない塗りが、赤のなまさと相まって、画面に未完との判断を下させるのだろう。

 

それだけに、頭部での黄と線のずれは注意をひかずにいまい。一つに、黒い線による頭部がやや右下を向くような傾きをしめし、対するに黄は、左により突きだしているところから、当初の正面ないしやや左を向いた姿勢から、右に首をひねった姿勢へと構想が変更されたのだと考えることができる。まず、白地の上を平坦に延びひろがろうとする色のありかたに則って黄を塗ったのだが、わずかであれからだの軸を傾斜させることで空間に屈曲をもたらそうとする線による構想が、前者に対するずれを残したまま、画面に刻印されたのだと見なすことができるかもしれない。そしてこの点を、先のマティスの手紙に結びつけうるわけだ。修正は解決を見ないまま放置される。署名と年記の存在にもかかわらず、この状態を積極的なものとみなすべきかどうかも、答えは出ないまま、観者も放置されることだろう。

 

もっとも、手紙が書かれた一九四〇年とこの作品の制作との間には十一年の開きがあり、両者を単純に結びつけていいのかどうかはわからない。四〇年代後半からマティスの制作の主軸は切り紙絵に移っており、レーベンシュテインのテクストでも先の一節にすぐ続いて、「周知のように、マチスは切り紙絵に解決策を見い出した」と記され(2)、それ以上の説明はない。切り紙絵が、色彩であり同時に形態でもある切り紙を、地の上に原則として併置していくことで成立するのに対し、油彩では、絵具の積層がいやおうなく可能となる。逆に、積層が可能であるがゆえに、決定状態に一気にたどり着けないほどさまざまな可能性も増大してしまうのだとすれば、そうした可能性、たとえばデッサンと彩色が同一平面上で隣りあうのではなく、層として重なりあい、その結果互いにずれあってしまうような可能性を封印するために、切り紙絵が選択されたと見なすことができるかもしれない。しかしこの説明はやや先走ったようだ。

 

他方、《黄色いドレスを着たカティア》ほど未完と感じさせない、たとえば《黄と青の室内》(図2)のような作品を見ると、いわゆるニース時代以後の油彩で、色は、絵具をきわめて薄く溶いた透明な塗りによって彩度を高めつつ、塗りの流動感ゆえモティーフに頓着なくキャンヴァス上を氾濫しようとし、その上を線は、今度は色のひろがりには必ず応じるともかぎらないかのように、素早い速度でアラベスクを走らせていく、そんな傾向がマティスの制作の内に現われてきていたと感じさせる。もっとも、黄と青はここでは、輪郭の内にきっちり納まるかたわら、左上の壷や果物の黄は周囲よりかすかに明るくされるなど、微妙な工夫が施されている。とまれイヴ=アラン・ボワはこの作品について、「色彩と線による表現を分離させることによって、ピカソの考え方に、さらなる賛辞を贈っている」と記した(3)

 

ここでの見かけ上の制作の速さを、マティスにおける老年様式の現われと見なせなくもあるまい。その際色の透明感は、下層にある白地との関係を感じさせずにいず、その意味で、《生きる喜び》(一九〇五-〇六、バーンズ財団、ペンシルヴァニア)からニース時代に入るまでの、面としてのひろがりを保証されることで、その場に留まりつつ同時に遠心的に膨張しようとする、不透明に傾くがゆえの色の飽和(4)とは、性格を微妙に異にしているように思われる(5)。ただ、とりわけマティスの場合、一つの時期に複数の様式が用いられることもしばしばで、単純に割りきることはできない。また《黄色いドレスを着たカティア》に見てとれる粗放な仕上げないし未完の相は、早い時期からマティスの画面につきまとっていた。この点については後にまたふれることとしよう。

1. ジャン=クロード・レーベンシュテイン、「画家のテクスト - マチスへ3」、松浦寿夫訳、『美術手帖』、no.490、1981.12、p.138.


図1 マティス、《黄色いドレスを着たカティア》
図1 マティス、《黄色いドレスを着たカティア》
1951、油彩・キャンヴァス、81.0×60.0cm
個人蔵


2. ibid.


図2 マティス、《黄と青の室内》
図2 マティス、《黄と青の室内》
1946、油彩・キャンヴァス、116×81cm
ポンピドゥー・センター国立近代美術館、パリ


3. イヴ=アラン・ボア、『マチスとピカソ』、宮下規久朗監訳、関直子・田平麻子訳、日本経済新聞社、2000、pp.188-189[Yve-Alain Bois, Matisse and Picasso, Kimbell Art Museum, Texas, 1998, p.189].


4. cf. レーベンシュテイン、op.cit., p.142 訳註33.


5. cf. Yve-Alain Bois,‘L'aveuglement’, Catalogue de l'exposition Henri Matisse 1904-1917, Centre Georges Pompidou, Paris, 1993, pp.51-52.John Elderfield,‘Describing Matisse’, Catalogue of the exhibition Henri Matisse: A retrospective, The Museum of Modern Art, New York, 1992-93,pp.36-37, 43. Elisabeth Lebovici et Philippe Peltier,‘Lithophanies de Matisse’, Les Cahiers du Musée national d'art moderne, no.49, automne 1994, pp.31-32
[この論文をはじめ、マティスに関するいくつかの点を桑名麻理氏にご教示いただいた。記して謝意を表したい]

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