ミニ用語解説:詩書画三絶
たとえば池大雅『山水図』画中上辺には「賛」と呼ばれる詩がかかれている。ひとの詩でもかまわないが、自分でかけば、つまり「自画自賛」ということになる。その詩は、画とかけはなれていても、密着しすぎてもいけない。つかずはなれずのその関係を蘇軾は「詩中画、画申詩」とうまくいって、これは賛をつけようとするすべての文人画家の坐右のことばとなった。それとは別に、書のさまざまな筆さばきのなかから絵がでてきたのだとする書画同源論も、ふるくから中国にあり、例をあげると『歴代名画記』の作者は「書画は異名同体」だといっている。このふたつが文人画というふしぎなジャンルにおいて遭遇したのが、さらにすすんだ理想としてうまれた「詩書画三絶」ということばといえようか。詩と書と画。そのどれが欠けても名品佳作とよばないというのだから、採点の基準としてはとてもきびしい。あまりこだわると、中国はいいとしても、日本から文人画がなくなってしまう。 大雅の書と画はすばらしいが、この天才にも詩人の霊感だけは残念ながら感じない。「自賛」はそう多くないんじゃないだろうか。うまいかどうかわからないけれど、一種隷体風の癖のある字が絵の雰囲気とうまくあう浦上玉堂はどうか。詩の規則から、いかにも玉堂らしい逸脱がはげしく、また「和臭」、つまり日本人くささがどうも目につくらしい。この三つのバランスがもっともとれたのは、だからやはり田能村竹田だろう。もっとも書はいいとして、その画については、その柔眉繊細が大雅玉堂とくらべると品があってもつよさに欠けるうらみがのこる。 |
(東俊郎・三重県立美術館学芸員)
友の会だよりno.24, 1990.7.20