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ミニ用語解説:瀟湘八景

横山操に 『瀟湘八景』という作品がある。この「瀟湘」とはなにか。たとえば当地津の儒官で、とりわけ『月瀬記勝』が有名な斎藤拙堂の七絶のひとつに「■(雨+言)渓囲裡行三日、又上瀟湘図裏舟」の転結がみえ、但馬あたりの風景を「瀟湘図」にかさねてその絶景をほめたものとうけとれる。

中国長江中流の洞庭湖。そこにながれこむ川のひとつを湘水という。その流域のまち湘潭は毛沢東の生地であり、またさかのほって清時代の政治家曾國藩もこの湘潭のちかくの湘郷出身で、かれがつくった軍隊は湘勇とよばれていた。もうすこしこの湘水をさかのぼると唐の時代柳宗元がながされた永州という都市にいたり、そのあたりで湘水に合流する川の名は満水とよばれた。つまり瀟湘とはこの湘水と瀟水をあわせ、もうすこしひろげてこれら河川の流域一帯をさすことばなのである。

河北におくれてひらけた高温多湿のモンスーン型気候のこの地方は、唐末に水墨画のあたらしい様式がおこるやそれに恰好の画題をあたえることになった。その典型が瀟湘八景なのである。江南の遠山煙霞にのぞむ水辺風景の「掩靄惨淡之状」(『画継』)を八つの主題をかりて描いたもので、記録によれば北宋十一世紀の宋迪にはじまるとされるが、かれの絵はのこっていない。 日本につたわったのは南宋滅亡時の亡命客、たぶん禅僧による。しかしのちに隆盛をみるその基をなすのは十五件紀に舶来された牧谿、玉潤の瀟湘八景であろう。室町幕府をパトロンとする芸術家たちは、かれらにとって架空の土地の空想の風景を、それゆえかえって愛好するにいたったようだ。ありようは瀟湘の名をかりて四季の循環を絵説きするという意味で、これは「歌枕」を生んだ精神のはたらきに似る。中国において瀟湘八景の名は山水一般のなかに消えてしまい、かえって漢画とよばれた日本画のなかでさかえた画題であるところがおもしろい。

中世をつうじてこのテーマにいちばんこだわったのはたぶん雪村で、牧谿玉潤の模写をはじめ何種類もの八景図をのこしている。しかし、みたこともない風景をえがきつづけるというのはどうしても無理があるのか、近江八景をはじめとするヴァリエーションをうんで様式化がすすみその創造力はおとろえ、狩野派にいたって絵画における「見立」はほぼ脈がつきた。もっともここに一箇の例外がある。池大雅の瀟湘図、とりわけ『東山清音帖』。こういう作品こそ換骨脱胎のみごとな手本というべきか。

(東 俊郎・学芸員)

友の会だよりno.18, 1988.7.23

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