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特集 ミニ用語解説:−ルーベンス展ノートの余白に

今回のミニ用語解説は12月22目(日)まで開催中の「ルーペンス展」にちなみ、その鑑賞の手引きとして同展のキーワードをいくつか採り上げてみました。

 

「バロック baroque」

バロックという言葉は、完全な球形ではない不規則な形の真珠を指すポルトガル語バローコに由来する。16世紀後半の文献に宝石細工の技術用語として登場するが、この語に「不規則、風変り、不均等」などの比喩的な意味を付けて用い始めたのは18世紀中葉のことである。百科全書にはジャン=ジャック・ルソーが署名入りで音楽用語として紹介している。

「バロック」が今日使われているように、様式史の専門用語として定着するには、19世紀後半、ブルクハルトの著作『チチェローネ』(1860年刊)を待たねばならなかった。ブルクハルトはバロックを、1580年代頃からローマ、ナポリなどの諸都市で支配的となった、ルネサンスの次に来てルネサンスから生まれた様式であると定義している。ルネサンスとバロックの中間にマニエリスムという段階が存在することを考慮してもなお、19世紀後半から20世紀初頭にかけてのバロック再評価の動向にとってブルクハルトの著作が果たした役割は大きい。

ブルクハルトを受けてリーグルやヴェルフリンといった美術史家は、更に明確にバロックをルネサンスとは異なる価値体系と理想をもつ独自の美術様式であると評価した。今日では、(1)歴史学上16世紀末から18世紀初頭を示す時代様式として捉えるヴァイスバッハの解釈。(2)いつの時代にも現われる人間精神の表現様式の一つと一般化したヴェルフリンの解釈が行われている。バロック美術を特徴づけるものは、ルネサンスの直線による静的な秩序と均衡に対する、曲線的な律動感、強烈なコントラスト、過度の装飾性などである。バロックは建築や彫刻の分野にも「絵画的」であること、すなわち視覚に強く訴えかける技巧を駆使することを強要した。絵画におけるバロックは、(A)教会堂、宮殿、邸館の天井壁画にキリスト教的主題や神話から題材を採り、天井を天空の一部に見立てる幻想的効果(イリュージョニスム)を狙う装飾性の強いカルラッチー族に代表される流れと(B)身の廻りにあるものをモティ−フにして明暗法を使って光と色の効果から、それを再現するカラヴァッジオの流れに大別できるが、ル−ベンスはそれらを綜合し、流動的な曲線構図による劇的表現を、ヴェネツィア派の流れを汲む豊かな色彩感覚でまとめ上げたのである。

 

「工房制作と油彩下絵 école/esquisse」

板に描かれたルーベンスのエスキース 板に描かれたルーベンスのエスキース

多くの弟子、助手たちの協力のもとに制作される、いわゆるルーベンス工房の仕事の手順は次の内容で行われている。まず注文主から与えられた主題の構想をルーベンスがペンやチョークで簡略にまとめ、それを板に油彩で写す。これを油彩下絵(オイル・スケッチ)というが、この下絵には(1)弟子たちが完成作の部分図として用いる、比較的克明に描かれた習作(エテュード)−これは主に褐色の濃淡で描かれる。−と(2)注文主や助手に作品の全体の雛型として提示される、完成作より小型の比較的自由な筆致で措かれた作品の見取図エスキース(構想図)―数種の色彩で色分けされている。―がある。こうして全体の構図が決定されると、再びルーべンスは個々の人物のポーズや頭部の習作をチョークで入念に制作し、助手に手渡す。この作業を繰り返し実施し、完成作が粗描(エボッシュ)の段階を終えると、ルーベンスが単独で、もしくは助手の協力を得て加筆修正を施し仕上げるのである。こうした大画面の天井画、壁画制作の工房における協同作業は、中世以来の親方と弟子による職人機構・ギルド制を基盤に、ルネサンス期に起きた芸術を七自由学芸に匹敵する知的営偽として高い地位に押し上げる機運に支えられて、一人の芸術家の内に自然に湧いた着想を重視し、現実の作品に仕上げる行為を二義的なものとする理念に発展した方法論に基づいている。もちろん、この工房制度の背景には、大建築の天井や壁面の装飾、広場の噴水の構築の必要といった当時の芸術が担っていた社会的機能が拘っている。

ルーペンスの優れた助手たちには、肖像画家ヴァン・ダイク(1599〜1641)、静物画家ヤン・ブリューゲル(1568〜1625)、フランス・スネイデルス(1579〜1657)らがいる。

 

「ルーベンス主義  Rubénisme」

ヴァトーの雅宴画 ヴァトーの雅宴画

1676年の批評家ロジェ・ド・ピールによるルーベンス擁護論は、古典主義の殿堂であったフランス・アカデミーにおいて一つの芸術論争を巻き起こした。ローマに学んだ古典派のプッサンを領袖とするプシニストと、バロック絵画の巨匠ルーベンスを信奉するリュビニストの対立である。プッサン派は素描を重んじ、古典古代(ギリシア・ローマ)の主題を考古学的配慮に基づく崇高な趣味で統一させた、ラファエルロ風の作品を規範とした。一方ルーベンス派は色彩を重視し、同じ主題を演劇的な空間処理でまとめ上げたヴェネツィア派絵画をフランスに導入しようとした。20年余に渡る論争は結局、1699年にロジェ・ド・ピールがアカデミーの名誉会員に選出されたことで一応ルーベンス派の勝利に終わったのだが、この論争の背景には、ルイ14世の王権拡大を正当化させるバロック的世界観−シェイクスピアが洩らした「世界は劇場、劇場は世界」という歎息、その中で人間は与えられた役割に忠実であれという階級的秩序−があることを見逃がしてはならないだろう。ともあれ、ルーペンス派のアカデミーヘの異議申し立ては、ヴァトーに代表される18世紀の雅宴画を堅牢な古典主義の神殿に招き入れる言い訳にはなったようだ。

(荒屋鋪 透・学芸員)

友の会だよりno.10(1985.11.15)

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