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コレクション展(3月4日(土)〜4月2日(日))

−野田英夫と壁画−

田中善明〈三重県立美術館学芸員〉

今回のコレクション展には、野田英夫の小さな油絵が展示されています。今年度三重県立美術館のコレクションとなった作品です。夕暮れ近くでしょうか、人影もなく、さみしさを感じさせる冬景色のようです。

 

野田英夫は、わずか30歳で亡くなりました、そのため、現在油絵は30数点しか所在が確認されていません。しかし、そのどれもが密度の高い充実した作品となっています。混ざり合い深みのある色彩、独特の線、夢の中にいるかのような画面構成。才能豊かなこの画家が、もし長生きしていたならどんな展開があったのか気になるところです。

 

ところで彼は、油絵だけでなく壁画制作にも関わりました。サンフランシスコのカリフォルニア美術学校に在学した21歳(1929年)の頃からはじめた壁画制作は、翌年メキシコの画家ディエゴ・リベラの制作助手をつとめるという幸運に恵まれました(リベラは野田の才能を認め、1934年ニューヨークのロックフェラー・センターで3枚の壁画を制作した際にも、彼を助手にしています。野田はリベラの描画技法と芸術思想に人きな影響を受けたそうです。

 

そして、この都市年の暮れに彼は久しぶりに一時帰国します。日本では 二科展や個展などで作品を発表する傍ら、西銀座7丁目のバー・コットンクラブの壁画制作の注文を受け制作しています。残念なことに、この壁画は戦災で焼失しました。

 

この時期のアメリカは、世界恐慌による不況の脱出をはかるため、政府が次々と事業を起こし雇用の確保につとめました。芸術家支援のための事業もいくつかあり、それが契機となって各地で壁画は盛んに描かれました。社会の中で芸術家がどのような役割を果たすべきか、アメリカでの体験を通して考えた野田英夫は、注文主や社会の要求によって自らの芸術にも新たな様式が生まれる可能性に着目しています。とくに、壁画の制作は建築空間などさまぎまな要素と実用性を考慮することによって導きだされる何かがあったのでしょう。野田英夫にとっての壁画制作と油絵の制作。とても深い関係がありそうです。

《風景》 1936年

友の会だより no.71, 2006.3.25

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