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美術館 > 刊行物 > 友の会だより > 2005 > 池田遙邨の「老人力」 毛利伊知郎 友の会だより no.70, 2005.12.1

生誕110年記念 池田遙邨展

2005年11月20日(日)~2006年1月9日(月・祝)

池田遙邨の「老人力」

毛利伊知郎〈三重県立美術館学芸員〉

池田遙邨は、1988(昭和63)年に92歳でこの世を去りました。その画歴も70年以上に及びますから、非常に長命な画家であったといえます。しかし、遙邨の長男で日本画家の池田道夫氏は、「92歳は父にとって早過ぎた最期でした」と述べています。遥邨は《山頭火シリーズ》 を完成させるためには、120歳まで生きる必要があると語っていたといいます。ですから、90歳の頃から《山頭火シリーズ》制作を開始して以来まだ日が浅い遥邨にとって、92歳は半過ぎた死であったといえるかもしれません。

長命な遙邨ですが、画家としての道のりは平坦ではありませんでした。そのことは、何よりも彼が遺した作品が物語っています。西洋絵画と社会の現実に対する強い関心を示す大正期、浮世絵版画を深く研究して多くの風景作品を遺した昭和前期、同時代美術の動向に敏感に反応した1950年代から60年代、叙情的な風景画が登場する70年代、俳人種田山頭火の俳句による《山頭火シリーズ》 を発表した最晩年、と遥邨の作品は大きな変化を示しながら展開していきました。

遥邨が自己の表現を確立したのは第二次大戦後といわれます。終戦の年に彼は50歳でしたが、体制が全く変化した新しい時代の中で、今後どのような作品を制作していくか、遥邨が思慮を重ねたことは想像に難くありません。昭和20年代から30年代にかけての作品が大きな振幅を見せるのはその証左です。

1960年代終り頃からの動物が登場する抒情豊かな風景作品を経て、《山東火シリーズ》が始まるのは画家が90歳を迎えようとしていた1980年代のことでした。今回の展覧会には同シリーズの作品26点が出品されますが、この連作には様々な試行を経た後に到達した遙邨ならではの絵画世界を見ることができます。

一時流行した言葉を使えば、池田遥邨は「老人カ」をフル活用した画家であったということができます。画家としてはもちろんですが、人間の生き様とか人生を考える上でも、池田遥邨は実に興味深い存在であるといえるでしょう。

友の会だより no.70, 2005.12.1

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