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クレー展の余白に

東 俊郎〈三重県立美術館学芸員〉

旅のシンフォニー パウル・クレー展』がはじまった6月29日は、偶然にもクレーの命日にあたりました。1940年のこの日、スイス・ロカルノ近郊の療養所で60歳余の生涯を終えたからです。ところでクレーの名が日本にはじめて伝わったのは1914年らしく、たとえば1923年ころになるとクレーは「アラビア式表現主義の画家」と呼ばれてもいます。今回資料として展示したハウゼンシュタインの『カイルアン、あるいは、画家クレーとこの時代の藝術についての物語』が出版されたのが1921年で、この本の影響によることがあきらかです。同時代というのはかえってものがみえない、その誤解?ぶりがきわだっておかしいのですが、しかしそれを思い切って〈クレーにおける非ヨーロッパへの眼差し〉 という風にでもいいかえれば、当たらずといえども遠からず、それこそかれの「かたちを生むちからの核心」にちかづいてゆくことができそうです。そしてこのヨーロッパを超えてゆく感覚が、後天的に外部からはりつけたものというより、ほとんど生得的に内から育ったもののように、どうしてもみえてしまうところが、ほとんど他に類例をみないクレーの不思議さなのですが、「日本人はクレーが好き」ということがほんとうなら、それは案外このあたりに根ざしているんじゃないか。

かつて小林秀雄はピカソを評して「無明をえがく達人」だと言って、なるほどと感心したおぼえがあります。かれの我なるものは真の意味の我ではなくて、仏教がいうところの小我にちかい。そして小我が我だとおもっているかぎり小我をこえた大我の存在はけっしてみえてこない、と。ひるがえって、藝術とはけっして「自己表現」ではないと語っているようにみえるクレーのばあいはどうでしょう。かれはいっています。藝術家は創造の根のほうから上がってくるものを樹の頂へうけわたす中間項にすぎない。「樹冠の美しさ。それは決して藝術家その人の美しさではなく、ただ彼を媒介として生れたに過ぎないのです。」神の声から動物たちの声まで、さらにひろく自然と呼ばれるこえなきこえの呪文をききとってそれが「神秘の合唱」に生まれ変わるのをてつだう藝術家のしごと。それこそ自己ではない自己のはたらきなのだというクレーのおしえ。フロイトの「無意識」やユングの「集合的無意識」とおなじか或いはもっと遠くまで届くかもしれない射程をもって、ヨーロッパ的「人間中心主義」に対するに拈華微笑しているようです。

友の会だより no.60, 2002.9.3

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