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美術館 > 刊行物 > 友の会だより > 1997 > 作家訪問8:片山政一 友の会だより 44号より、1997.3.1

作家訪問〈8〉 片山政一

年明けの月なかば、川越町にお住まいの金工作家、片山政一さんを会報部員がお訪ねしました。軒下の太い梁の下に「るすの時は仕事場にいます」と書かれた板が掛かっているお家の前で、血色のいいお顔の片山さんが気さくに声をかけて下さいました。ここで、簡単に片山さんの横顔をご紹介致します。大正十三年お生まれで、昭和四十年光風会初入選、以後、光風会賞をはじめ日展には十三回の入選、県文化奨励賞、県芸術文化協会賞、県展最高賞等、数々の名品を創造され、日展会友、県展審査員などをなさってます。

通されたお部屋は、花瓶も卓も電灯の笠も戸棚のなかのものもすべて、自らお作りになったものばかり、金属のもつ重厚な華やぎに圧倒されそうになりながら、いろいろ貴重なお話をお伺いしました。片山さんは工作好きの少年でいらっしゃったそうです。戦時中に軍の徴用で東京芝浦工場へ、そこで溶接の仕事に就かれて技術を習得されました。農業とお勤めの余暇にに仕上げられた作品(その作品は戸棚の上で置かれてありましたが、白い花をちらほらと咲かせた古木の梅でした)を、知人に薦められて県展や出されたのが金工芸に打ちこまれるきっかけであったとか、しかし落選したためその理由を審査委員長の方にお聞きしたところ、技術は立派だが芸術性が無いと言われ、それからは飽くなき芸術性の追求を続けられることとなりました。津市にお住まいの新先生の許へ、勉強に通われてできた作品二点を光風会へ出品されたところ、そのうちの一点が初入選、一躍して中央の大家の先生に認められました。東京まで教えを乞いに、ただひたむきに創作への意欲を燃やして、通われたそうです。一町五反もの農家でもあることから、ご両親や周りの人からのご心配やご忠告も随分あったようですが、それも数々の賞を受けられるうちに次第に理解して、認めて下さったそうです。

金属を加工細工するのに、溶融させる素材の組合せや接合の方法はさまざまあって「合性見つけるまでが相当の苦労」とのこと、ひとつの作品ができるまでは寝る時も枕許にメモ用紙を置いておき、これはと思うのはその工程を頭の中で毎晩追求し決めてゆかれるとか、「時にはつき当たることもあるけどそういう時は一週間でも二週間でも考えているので、やはり考えている時間のほうが作っている時間より長くて」そのあと実作にかかられると意外に早いということでした。また、身近な生活用品の機能的フォルムを生かすことに興味がおありとか、部屋の中に置かれた作品のひとつひとつを指して「あれは自転車のリュームを真ん中から切ったもの、これは大八車の金輪を切ったもの、これもプロパンガスの空の容器を二つに切ったもの」と、その原型を示されると、納得したり驚いたりで思わず笑いが起きました。しかし、更に造形を探求される片山さんのお作りになりたいものは「あんまり、この世に見たことないもの」だと言われました。

このあと、仕事場を見せていただきました。「朝の三時でも、考えついたら寝とられへん」と創作に打ち込まれた所です。ある先生の「一時間、二時間でもいいから毎日ノーズを使ってなにかやる」という言葉に深い共感を持たれるとか、三坪ほどの広さにガスボンベや数々の工具がところ狭しと並べられ、足許にはストーヴが。ここから原始の物質を材料に、現代に未来への不変のテーマを求めて、数々の作品が創られてゆくと思うと感慨無量でした。

なお、美術館には、片山さんの作品は二点収蔵されています。展示公開されます折には、是非、みなさまのご鑑賞がありますように。

(瀬野喜代子)

友の会だより 44号より、1997・3・1

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