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浅野弥衛の人と芸術

美術館では1月20日(土)浅野美子さんと東学芸員による美術講演会が開かれました。抽象画家として活躍されている浅野弥衛の人柄と、その芸術作品について二女の美子さんがすべてを語ってくれました。白と黒のモノクローム、線を主体とした独特の作風は見るものに不思議な魅力と優しさを感じさせます。こんな絵を措く浅野弥衛という人はどんな人なのでしょうか。エピソードを交えながらお話しされた美子さんとの親娘の会話を少しご紹介いたします。

今日言いたかったことは、ある新聞に「抽象画の大家浅野弥衛氏名古屋で個展」という記事が載ったんですね。その時父はすごく感激しましてそのタイトルに「なあなあ抽象画のオオヤと書いてある」と言ったんです。「え〜つて」私も父の感激ぶりに圧倒されて「ふ〜ん本当にオオヤと書いてある」「なあお父(とう)は絶対あの新聞記者にうちが借家あることは言うてへんに」「そら言うてへんやろなあ関係ないもん」「そやけど餅は餅屋やなあ、あの新聞記者はえらいもんやなあ、うちに借家があるということをよう調べた」と言って抽象画のオオヤ何回目の個展といって喜んでいたんですけど、夜になってきてよくよく考えると「これはお父さん抽象画のタイカと違う」と言ったら「え〜」と言ってこういう言い方をするんです、「オオヤと違うんか、なんや」と、それですっかり興味が無くなったんですけど、そう言う浅野弥衛話は幾つあってもきりが無いというほど、数限りなくある人で、今の浅野弥衛大家(おおや)に喜ぶという、そんなことが延々と続く人です。でも大家(おおや)と言われてとても喜んだんですけどネ。

この話に会場は爆笑、美子さんは神戸(かんべ)(鈴鹿市)の言葉でユーモラスに淡々とお話をされました。戦争体験の話、外国人との出会い、5の数にこだわり迷信深かったこと、天気予報が好きだったこと、これは作品の下地が気象条件に左右されるのでとても気にされたからだということでした。また、江戸時代からの旧家で弥衛門と名付けられたが、古臭いからと門だけとって弥衛としたモダンさや、作品名にタドンとか葛まんじゅうといったユニークな名前を美子さんが付けられたとか、いつまで聞いても飽きない心に残るエピソードの数々をお話して下さいました。素直で率直な画家、浅野弥衛の人柄に触れ今一度作品を鑑賞したいと思いました。

おわりに美子さんは「父はごく日常的な普通の人で芸術家とか画家というところはなかった。しかし、病床に就いて医師にリハビリのため少しでも絵を描いてみては……と奨められても、健康のため、楽しみのための絵は頑として描かなかった。やっぱり画家であり、プロだなあと思った」と言われ、お礼の言葉として「父は絵描きになって幸せだった。絵を描いている時が一番幸福(しあわせ)だったといつも言っておりました。そんな幸福な時間の産物である父の絵を、こんなに大勢の方が見て下さり、ここに父が居りましたらとても嬉しかったと思います。無言ですが絵の一点一点が有難うと言っております」と述べられました。「自由に」ということで抽象画を選んだ浅野弥衛の絵は、見る人が自由に受けとめ、幅広く自分の感性で鑑賞できる精神性の高い素晴らしい絵だと思いました。

(宮田さよ子)

付記:浅野弥衛氏は展覧会終了後の2月22日永眠されました。
    ご冥福をお祈りします。

友の会だより 41号より、1996.3.25

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