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作家訪問<2>

奥 行彦

伊勢市は今、61回式年遷宮も滞りなく終わり、新正殿へのお参りの人々と、まつり博・三重'94のイベント前哨のざわめきがそこここに漂っています。その雰囲気と春の陽射しが一杯の4月26日、会報部員の原、水野、長谷川、若山が、福岡から直行の美術館の森本さんにご案内をお願いして、伊勢市在住、ポップアップアートの作家奥行彦氏のお宅を訪問させて頂きました。

自然をとりいれた自由なたたずまいの庭、玄関までの小道に草花が咲いて伊勢地方独特の"笑門"が近代的な感覚のお家と、なんだかマッチしている不思議さのなかに、今日お訪ねする何かが含まれている気がしました。道を間違って裏庭から訪れた私達を気さくにアトリエに招じてくださり、先生自らお茶のおもてなし、吹き抜けの高い天井や、広いスペースもたくさんのキャンバスで狭く感じられ、制作途中の作品は白一色。書棚には漢和、、漢語、国語、百科辞典などなど、小さな図書館をおもわされます。沢山な本のなかで安部公房の全集が存在感を主張しています。

奥幸彦先生は1956年三重大学を卒業、島津小学校教員を始めに久居農林高校、宇治山田高校と長く美術教育に携わってこられ、1992年に退職されました。その間画家としての活動も着実に進められ、1958年美術グループ「実録記録」を結成、1967年美術作家グループ「土」に参加。

1961年第26回新制作展に「海の記録」、1968年第32回新制作展「ふくらむ提灯」が入選、1970年モダンアート展に初入選、奨励賞を受賞。すでに大学在学中に県展で「冬の容器」「座底」で最高賞の文部大臣賞を受賞、県展無鑑査。1968年から伊勢市美術展の審査員、1971年、39才で三重県美術展覧会の審査員を勤めておられます。その他数々の賞を受けておられ、一方、地方文化の高揚げのめ文化協会評議員もなさっておられます。

紺地の作務衣下着の襟の白さが、芸術に向き合っていらっしゃる真摯なお気持ちのあらわれと感じられました。お話を伺う取っ掛かりが、先生の画集の表題「メービウスの輪」(一度ひねった紙テープの両端をまるく貼りあわせたもので、裏も表もない空間のこと)と、取っ掛かりから難しい話になりましたが、抽象絵画のなかにものもわからず、ただ従来の美意識の感覚を取り除いた所からうみだされる絵画とのみ心得ている、突拍子もない私の質問や他の人達の質問にひとつずつ、丁寧にわかりやすく答えてくださいました。

黒のコンテを塗り潰した色面で第1回個展。黒の輝きをもとめての永い制作道程、師・足代義郎氏は『頭脳的であると同時に鋭い切れ味を持つ作風、狙いを単純化し清新な世界を繰り広げる。見えないものを視、見えるものを視ない現代精神の眼を人々に要求する』と評されておりますが、お話のなかにその世界を追求しておられる姿勢がうかがえました。

いただいた資料のなかから一部抜枠させていただきますと、『表現の異化』(異化という表現の原則的な特質は本来の発信体によらないで、他の手法や状況や物体で語らせることにある。本来の絵画的でないこと(もの)で絵画を語り彫刻でないもの(こと)で最も彫刻を語ることになる)と示されています。

今日の日本の経済成長ぶりを、絵の具で実感しておられ、戦後の不自由さ、他の物を犠牲にしなければ買えなかった時代、今は普通に買える。今流行の生涯教育などと他の人からの受け売りはお断り。人生2期説も飛び出し、まさに充実した時を精力的に生きておられるご様子に、時代の先取りを感じたのは私だけだったでしょうか。

前館長陰里鉄郎氏に20年も前に「視覚的な虚講や心理的な遠近感をもった画面が興味深い」と批評され『白い椅子』。その作品誕生にまつわるのは、安部公房の『砂の女』からの素朴なイメージとのこと、書棚の安部の全集が納得されます。最後に制作の秘密まで教えていただいて、知らなかった世界を垣間見させていただき、抽象空間の存在が認識されました。

夕方おそくまで有難うございました。

(若山 理子)

友の会だより 36号より、1994.7.23

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