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陰里館長講演

ウォーキング10年展にちなんで」

この美術館の10年をふり返ってみて、問題点があるとすれば、どういう処にあるかをお話してみたい。美術館運営の当事者である私が、この10年間を話すことはあまり気が進まない。客観的に見ることは難しい。外から見た10年間を誰かに話していただくのが良いと思ったけれど、適当な方を探すのがむずかしく取あえず私が話すことにしました。

新聞紙上か何かで、佛大統領ドゴールの言葉゛未来は永く続く≠ニいうのを見て、当り前のことだけれど、改めてそれを意識すれば当り前ではないかもしれない。この10年は如何でしたかとよく聞かれるけれど、未来永劫続くであろう美術館の最初の10年ということで、その見方も変ってくる気がします。

この美術館が20年や50年で終ることは多分無いだろう。建物は老朽化し、変更はあっても、永い未来につづくことを考えれば、これから始るというわけです。何事であれ巨視的に見ることと、微視的に見る両方の見方があると思う。巨視的に見るというのはパースペクティブのなかにおいて見るということ。奥行のある透視法です。微視的というのは、時間であれ、空間にある事物であれ、細部を見ることで、両方とも重要なことと考えます。開館の頃から、どういう展開をとってゆくか、長いパースペクティブの中に置いた時に、どんなプログラムを持つか考えていたつもりです。

そこで具体的にはどういうことかいろいろ検討したわけです。美術館だから人類の長い歴史の「時代」という ものを考えれば、大まかに云っても、古代から中世、近世、現代とあり、それでプログラムを組むのも一つの方法です。又美術には色々な分野があります。建築、版画、彫刻、工芸、デザイン、等の造型芸術に映像も加ってきます。又時代というものが時間の問題であれば、空間的な問題として、地球上の総て、つまり世界というものがあります。

その世界も、東洋があり、西洋がある。更に日本というものがある。更に中部があり、三重県がある。時代に対して、地球を中心にした考え方もあるだろうというわけです。これをどう据え、どう噛み合わせてゆけば良いか考えました。

実際の具体的なことは、渡り廊下のポスターや、並べてある展覧会のカタログを見て下さると、或る程度察していただけると思いますが、今申し上げたことをうまく組み合せ考えてやって来たと思っています。つまり西洋の作品の展覧会をやったり、日本全国に亘る様なテーマをたしたり、或は中部地域だけに限ったり、三重県にかかわるものをと云うわけです。又一方では、建築は別にして、絵画、彫刻、工芸、日本画、油絵、デッサン、版画、という分野を、プログラムを考える一つの基準としていたということです。これがこの美術館の活動全般に亘る基本的な方針でした。展覧会活動もコレクション或は普及教育活動も、そういう視点をとってきたと思っています。

最近或る処からこんな質問がきました。美術館の入館者のターゲットをどういう風にみているか、つまり公立という処は大半が特定のターゲットを持たないと。何故なら県民は赤ん坊から年寄りまでいるから、その為に万遍なくということになり、どうでも良いものになっている様に見えるがどうですかと云う意見です。或る美術館では、若者なら若者に焦点を合せてやる。その為に活性化がもたらされていると云うのです。でも公立の場合は無理です。だからプログラムを組む中で、このテーマ、このプロジェクトは大体どこら辺に焦点があるだろうということになると思います。入館者を見ていると、日本画の時は年配者が多く、現代美術展は若い人の方が多い。だから仮に一年を単位にすれば、世代なり階層に合せたプログラムを組めば良いと思います。

例えば一年間と限った場合、一年間は極めて短い。だから三年なり五年なり、そういう時間の塊を置いてやってゆけば、それなりの事が出来るだろうと考えてやってきたので、今までの展覧会、カタログ、ポスター等見て下されば御理解頂けるだろうと思っています。

大きな問題としては活動プログラムがあるわけですが、開館当初からいろいろなその活動に関わることが出て来た。広報を如何するか、その印刷物をどうするか、そのデザインを如何するか、中の文章を如何するかといった様なことです。御承知の様に三重県のポスターの殆んどは共通したもので10年間やって来たし、カタログも必要なものは共通したデザインを使っています。一時期デザインのポリシーということが盛に云われたことがあり、企業や、プロジェクト等のデザインのポリシーをどうするかということです。デザインその物が美術でもあるわけですから、美術館の問題でもあることで、開館のポスターからそれを始めて来たのです。今でこそ行政当局の理解もある様になったが、開館当時デザイン料というものが予算に組み込めない。多くの人はデザインなど只で重要ではないと思っていた。あの開館のシャガールの大きなポスターはデザイン料は勿論印刷費も無かったのを、遮二無二作ってしまったということです。やっと杉浦康平事務所にお願い出来、ずっと続いているわけです。方々の美術館や文化施設などに行くと、ポスターが沢山帖ってある中で、三重美術館のはすぐ判ります。目立つという力と、繰り返し続けて来たということが定着してゆくのです。

例えば繰り返しやって定着したものに、現代彫刻展覧会があります。作家や作品は違っても毎年一度、やって来ました。これによってこの美術館が持っている、或は示そうとしている理念を受取ってもらえるだろうと云うことです。そういう試みを繰り返して来たが、繰り返すということは又、マンネリズムを生んでくる。マンネリズムは物事が停滞して陳腐になるなど悪い意味に使うけれど、見方によっては繰り返すことは洗練されることになる、リファインされた別の物を生む吋能性もあるとも考えられる。これは例えば美術の歴史を止ると、そういうことがよくあるもので、ヨーロッパ16世紀初めの頃は、レオナルド・ダヴィンチ、ミケランゼロ、ラファエロ等世界史の中で最も優れた芸術家が活躍した時代だった。次ぎの世代16世紀中頃の人達は前人の作り上げたものを受けつぎ、手本にし繰り返しだった。けれど繰り返してゆくうちに非常に洗練したスタイルのマニエリズムと呼ばれるものになったのです。同時にリフレッシュというか新鮮なものにして行くことを心掛けねばならないだろうと思います。

そこでこれまでやって来たことでは先ずコレクションです。コレクションを如何するかというのが開館前から論議されたことです。委員会が出来、その中で論議され、凡その方針を立てた。大枠を立てたと云うことです。迂闊に方針をたてて明確に細分化して二進も三進もいかないという事が出来ては困る。そういう例が多々他の地域で見られる。ある県では、その地域の出身者か関係のある作家に10人をあげ、それ以外のどんなに良い作品でも収集の対象にしない。これは経済的ばかりでなく、知的或は精神的な意味で得なのか損なのか。だから大方針的な基本方針であればいいだろうと思っています。それに基づいた形で、コレクションがなされたと思っていただきたい。非常に細かく規定した場合は厄介だが、大きくきめた場合でも不自由な面はあると思う。基本方針だけでいいとは思えない。世の中は流動し歴史は非常な動きがあるわけだから、それにしばられず、柔軟に敏感に反応じなければならない。枠をふみ出さない結構な話は多分に魅力を持って来ない。従って時には枠をはみ出すことも必要なんだろうと思って、それなりのコレクションをして来た。具体的にどういうことがあるかというと先づ情報です。どこにどういう作品がある、それが市場にでて来たとか、手放すか、どこのオークションに出るとか、これがうまく入って来るか掴めるかということが、コレクションの場合問題です。情報をどう手に入れどう集めるかが、コレクションを作ってゆく上で一つの重要なポイントになる気がする。首都圏からも、関西の中心部からも一寸はずれている三重県ですから、難しいわけです。只俗な話の様ですが、美術作品という物は、世界全体その歴史を見ても、豊かな処に流れて行くものです。これは多分間違いない。だからアメリカが国を作って200年しかならないのに、厖大なコレクションを持つ美術館とかコレクターが出て来た。これは正に19世紀の終りから20世紀にかけて、アメリカが非常に裕福になってきて、その時に大量に欧州の優れた作品が、アメリカに流入した。アメリカ自身の生んだ芸術作品は、歴史が浅いから限られている。それなのにヨーロッパの古い作品が沢山あるというのは、そういうことなのです。勿論、良否にかかわらず流れて行くわけで、当然贋物も沢山入ったにちがいないのです。そこで、この1、2年の日本の事を考えてみると、バブルがはじけて不況になったと現在はいっているが、この10年位の日本に入って来た美術作品は、驚く程だと思います。その気になって追求してみると、こういう作品まで入っているのかと思う程の作品が日本に来ている。これは80年代に日本が経済的発展を遂げたそのピークになっているわけで、世界の市場の美術作品の価格を日本人が吊り上げたと云われている位、相当流入していると思われる。それが日本では表面化しない。例えばアメリカの様に、コレクターがある時期になると公共施設に、その蒐集品を寄贈するという例が沢山あるが、日本はなかなかそうはならない。最大のネックは日本の税制だと思う。税金の制度がこれを阻んでいるし、表面化しないのも税金の問題であらう。相続税だ、贈与税だと莫大な税金を取られる恐れから、ひたかくしにかくすという事になる。この10年間に相当の作品が、入って来ているのは間違いない。そういう情報を得る能力がなかなか厄介なのです。敏感なアンテナを張り、こまめに歩きまわっで情報を集めるとか、其の他諸々ですが、業者は非常に敏感で、購入資金が多い所には、そこにそった作品が呈示される。向うから情報がやって来る。残念ながら三重県立美術館の現在は、国内の他の館にくらべ、少いのでそんなオファがやって来ない状態になっている。その中で美術館に必要な作品を購入して、コレクションに加えてゆくのです。

(1992年・5・9の陰里館長の講演をまとめました。つづきは、次号に掲載します。文責 原)

友の会だよりno.30, 1992.7.31



陰里館長講演

「ウォーキング10年展にちなんで」PART U

ミューゼアム・ピースという言葉がある。つまり美術館向きの作品のことです。これは作品の大小を云うこともあり、何よりも質の間近になるわけです。オファーがあったり、画廊、個人所蔵の売り込みを受けた場合でも、質、其の他美術館にふさわしいかどうかということで、個人の偏向した好み等と違うところです。でもコレクションとは何か、その神髄或いは原点は何かというと、本当は個人のコレクション程、面白く興味深いものはない。が公的な機関では偏向は許されない。勿論人間によって運営されているのだから、その時の担当者の性格が反映するのは当然です。これは国の政治、県の政治、或は企業などに至るまでそうだと思います。実際の結果を出してゆくのは、そこに居る人間で、美術館もそうです。どういうコレクションを作り、どういう事業を行なうかは、そこに所属している人間当事者の思想や、好尚などが反映するのはさけ難いことです。つまりこの美術館のこれまでのコレクションは、私を中心とする学芸員スタッフの意見の反映であり、突っ込んで云えば、僕自身の責任だと云っていいと思います。これは他の国立美術館も含めて、コレクションはそういう形で作られて行くのです。

外国の美術館、例えばルーブルとか、プラド、エルミタージュなどは、巨大な歴代の権力者、皇帝の賜ものでした。それで殆ど特色がない。ところが近代に入ってからの公的美術館を見ると、誰それが館長の時のコレクションと言った様なものとしてある。それがその美術館のコレクションの性格を作って来ている。その当事者であるその館のディレクターの思想や芸術観の反映、集積として、コレクションが作られて来るのです。ミューゼアム・ピースと言うのは価格の問題でもあるわけです。恐らく皆さんは、美術作品は非常に高価な物と考えて居られる。確かに高価なもので我々が一生働きつづけ、定年になり退職金をもらう、又それまで働いたサラリーの総額を計算しても、はるかに高額の作品はいくらでもあります。考えると馬鹿ばかしくなる位です。でも美術館ピースである故に、市場には美術館値(ミューゼアム・プライス)というのが存在する。呈示されている価格の10%〜20%引きという形で出てくることもある。

微視的というのは、数限りなくなされてきたと言っていい。これは最近新聞で見たことですが、戦争中の朝鮮人殺害事件を取り上げた時、昭和と年号を使って批判が出たとのこと、恐らく西暦で記すべきだと言うことと思う。この美術館でも、昭和から平成になった頃論議したが、1982年開館、10年経って1992年ということになった。微視的な問題の一つです。例えば「細部に神宿る」という言葉がある。細部も非常に大事なのだと言うことです。年号の表記から、デザインの表記から、展示のキャプションの文字だとか、細かなことは無数にある。

最近の例で一寸問題になった事を申し上げますと、これは我々の10年に関わることですが、今年の2月、「三重の子どもたち展」を開催したが、その後半の頃、朝日新聞に一つの投書が出た。それは「子どもたち展」に展示されている障害者の作品につけられているキャプションについてでありました。どういう障害を持っているか記す欄があって、例えば目の不自由な子どもなら、どういう風に不自由なのか、弱視か全盲なのかなどと。その「全盲」というのを見て「心が冷えた」という投書だったわけですが。これは10年前に担当の先生方とも、どうすべきか様々な差別問題なども含めて、論議され、今の様に展覧会全体は、学校名は出さず、名前、学年、地域だけとし、障害者の子に関しては、障害の程度を明記することにしました。これは保護者の了解を得てそうしたのです。100%健康な人など殆んど居なくて、いろんな障害者も含めての集団が人間社会なのだから、その事を自然に受け入れるというのが基本だろうと思います。万一障害を明示せず、普通に名前、学年、地域だけ明記したら、何とこの絵は下手だろうと考えられないとも限らない。全盲の人が平面の作品を作るという事だから、その能力の方を評価すべきだと思います。我々は自然に受け入れて、そういうハンディキャップがあるにも拘らず、こういう造形活動をすることをこそ、評価しなければと思います。只改めてそうした指摘を受けてみて、壁面を見て感じたことは、展示に対する配慮が足りなく、我々の手落ちだと思ったことはありました。それは視覚障害者が点字を使った作品が展示されている。それが手がとどかない所に展示されていて、これはどういうことかという気がしました。視覚障害の人にとって、聴覚と触覚と云うものは、我々の視覚と同等の、外界を受けとる大事な感覚だろう。触り、聴くということで、我々と同じ世界のことを受け取ろうとしているとすれば、どうすべきかそこまで我々は考えて、作品の展示 をしなければ、美術館の任務は終わらないと僕は考えています。

責務の事というのも美術館の問題であり、この十年間試行錯誤して来たと思っていいだろう。この2、3目盛んに新聞に出ていたことですが、熊本県知事の細川氏が新党結成のインタビューで、権力の座には十年までだと言われた。私も十年館長として別に権力があったわけではありませんが、さっき言った様な十年というものの中での繰り返しというのが、マンネリズムでもあるし、もう一つ重要な事というのは、これも一寸触れましたが、十年間の外の世界の変化、これに追いついてゆけるかどうか、又追いつけるだろうか、対応しているだろうか、対応し得るだろうか、その疑いなり危惧と言うものを持たざるを得ません。

これは十周年と言うことで、この秋から来年にかけてそれなりのプログラムを組んで、然しこれが実は非常に困難な状況になって、恐らく大幅な変更をせぎるを得ない状況を今我々は迎えている。これは残念ながら美術館側の問題であると同時に、外の問題でもあるわけです。これはどう考えればどう打開の道がとれるのか、どう責任をとるかということまで含めて、そこまで来ていると僕は考えています。決して順風満帆で来たとは思いませんが、より以上の難しい処に来ているという気が今しているところです。それは別に冷戦構造が終ったとか何とか言う大それたことで言うのではないのですけれど、そう言う状況はあるということなので、いろんな事を含めてそういう大変化と言うものの中に美術館もあって、非常に困難なところにあるだろうというそう言う感をもたされます。絶えず危険はあるものですが、とりわけそ ういう時期にさしかかっている気がしています。

(原 歌)

友の会だよりno.31, 1992.11.30

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