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美術館 > 刊行物 > 友の会だより > 1991 > 宇田荻邨「簗」 本画と下絵展 山口泰弘 友の会だより 28号より、1991・11・26

【展覧会紹介】

宇田荻邨「簗」本画と下絵展-宇田荻邨と近代日本画

山口泰弘

昭和8年夏のことでしたが、宇田荻邨は滋賀県から岐阜県にかけてスケッチ旅行に出かけています。このとき、荻邨が胸のなかであたためていた構想は、「簗(やな)」つまり川の瀬を両岸から杭や竹石を使ってせき止めて、一ヶ所をあけて簀の子を張って川を上がる魚を捕獲する仕掛けを描くことにありました。

旅行の行程は、一部始終わかるわけではありませんが、スケッチ帖に書き込まれた日付によっておおよそがわかります。荻邨が最初に出かけたのは滋賀県で、甲賀郡柏木村の川筋で簗の写生をしています。それは8月10日のことで、3日後には、岐阜県の多治見に場所を移して同じモティーフの写生に取り組んでいます。スケッチ帖には数ページにわたって簗の写生が続きますが、そのいくつかには「中央線多治見より約二十丁下流 土岐川筋 簗」「簗 土岐川にて八月十三日」「土岐川にて」などという書き込みがあり、スケッチの場所や時があきらかになります。

制作のためのモティーフの取材は、この旅であらかた終えたようですが、それでも、なんらかの不足を感じたのか、同じ月の21日には、京都嵐山に出かけていって大堰川であらためて簗や簗の仕掛けられている川瀬のスケッチをしています。さらに9月に入ると、ふたたび滋賀県に行って、野洲川の下流で簗をスケッチするとともに、鮎や川鱒のスケッチも行っています。鮎や川鱒は、簗の捕獲対象として切っても切り離せないモティーフだったからでしょう。

こうした下準備を終えたあと、画室に籠って構図を練り、下絵を作って、やがて完成させられたのが、代表作のひとつ、「簗」です。作品には、水辺に一羽の鴫が描かれていますが、これはわざわざ動物園に出かけていってスケッチしたものがもとになっていることを付け加えておきましょう。

この「簗」という作品、一見すると装飾的で、その意味では昭和前期の荻邨の作風を象徴するものですが、別のいいかたをすると、荻邨の全画暦をみてもいちばん写実から遠いこの時期を代表する作品ともいえます。そうした、ある意味ではつくりもの的な作風のなかにもその根幹として写生があったことは、歴史的にみて重要なことと思われます。荻邨が、先生の手本を組み合わせて画を構成するいわゆる粉本構成が普通であった時代に「すべては写生からはじまる」と主張した円山応挙以来の伝統の正しい継承者であったことが理解できるからです。

三重県立美術館には、松阪出身の日本画家宇田荻邨のスケッチ帖・下絵類が300点ほど―スケッチ帖を1ページごとかぞえると約4000点にのぼる―収蔵されています。それらのなかには少年期の修画帖や古画や浮世絵の模写、動植物のスケッチなどがありますが、今回の「本画と下絵―宇田荻邨と近代日本画」では、とくに本画=完成作品の制作過程がたどれるようなスケッチ類や下絵を、本画と一緒に展示して、荻邨の試行錯誤の過程を探ってみようとする展覧会です。

友の会だより 28号より、1991・11・26

作家別記事一覧:宇田荻邨
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