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【展覧会紹介】

ヴィクトリア&アルバート美術館展

石崎勝基

ボッティチェッリ l スメラルダ・バンティーニの肖像

ボッティチェッリ l スメラルダ・バンティーニの肖像 l 1470年代初頭

ロンドンにあるヴィクトリア&アルバート美術館の所蔵品による本展出品作の制作年代は、ボッティチェッリの『スメラルダ・バンティーニの肖像』の一四七○年代初頭から、ロセッティの 『白日夢』およびファンタン=ラトゥールの『キンレンカ』の一八八○年に及ぶ。五世紀にまたがる西ヨーロッパ七か国の絵画の展開を、作品五○点でもれなくたどりうるはずもないが、それでも、一点一点をながめ、また比べていくと、読みとれるものは決して少なくない。たとえば−

先出のボッティチェッリの作品と、クリヴェッリの『聖母子』は、ともに一五世紀後半のルネサンス・イタリア絵画で、女性の半身を人きく配するという点でも共通するが、表情はまったくことなっている。肖像画と礼拝画という機能上の差はあるにせよ、ボッティチェッリにおける清楚さと、クリヴェッリでのあくどいまでの存在感の強調とは対照的である。両者の衣裳の描写も比べられたい。これは単に、モデルの選択によるのではなく、前者の流れゆく線と、後者の刻みこむような線という、描き方そのものに根ざしている。

これら二点を、一六世紀のティントレットの自画像と並べてみよう、むしろ共通点が目につくはずだ。前者二点では線が描出の基本であるのに、後者には線が用いられず、いっさいは明暗の推移のうちに浮かびでてくる。そのため、写実上の迫真性はずっと強い。これは、以後一九世紀までの西欧絵画の主調となるだろう。先の二点がテンペラで、他の出品作がブレイクをのぞき、すべて油彩であることも留意しておこう。支持体はほぼキャンヴァスか板に二分されるが(銅板二点)、−八・一九世紀の作品二一点はルソーを別にして(キャンヴァスに貼った紙に描かれている)、すべてキャンヴァスだ。

一七世紀、ベラスケスの作品−背中を向けた人物が主役にすえられている。十五世紀には思いつきもしなかっただろう。ここではさらに、左の机の縁とともに、背中を向けた人物の、明るい茶色の面の傾斜そのものが奥行きを生みだしている。ボッティチェッリの背景が多分に図式的だったことを想起されたい。空間、ひいては描きだされる世界が地についたのだ。

同じような変化は 〈〈進歩〉ではない)、一六一五年頃以降の制作とされるとはいえ、パノラマ状にひろがっていくブリルの古風な風景と、ファン・ホイエン、ファン・デル・ネール、ウィレム・ファン・デ・フェルデ(子)らの、地・水平線がずっと低い、すなわち平坦な地上から人間の日の高さで見られた風景との間にも認められよう。風景画等がジャンルとして独立するのも、一七世紀になってからである。

時代による変化とともに、国柄のちがいも少なくない。一七世紀の出品作が多いオランダとベルギーでは、前者の方がより画面の内と外が地続きの感が強い。他方イタリアの絵画は、戦闘団や街景図でも、舞台の上を見ているような気にさせる。

ところで、ティントレットの自画像と一八世紀中頃のゲインズボロの肖像画を並べると、後者では、モデルへの感情移入が強まっていはしないだろうか。一七世紀オランダの風景画と、ターナーのそれを比べても、後者における主観的な解釈の比重はあきらかだ。ルソーやクールベではさらに、絵具の物質的な質感が目につく。描かれた世界と現実の世界との対応への信頼が崩れつつあるのだ。それはまた、ブレイクが予感していたことでもあり、先のボッティチェッリの作品を所蔵していたロセッティら一九世紀後半の画家たちが、時にボッティチェッリなど〈ラファエッロ以前〉を範にしつつ、あらわにしていくことになろう。この時、ものの見かたのある周期が一巡する。

以上はもとより、おそろしく粗雑な見取図にすぎない。また、比較はあくまで、一点一点の作品固有の深みをさぐるきっかけにとどまる。その先は、見るものひとりひとりに委ねられる。

(いしざき かつもと・学芸員)

友の会だより no.26, 1991.3.1

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