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再び、ソウルヘ

山口泰弘

韓国旅行は、実は今回がはじめてではない。ちょうど2年前、中国を3週間はど独りで旅した帰りに、まったく予定外に、たった1日だけ滞在したことがあった。そのときの印象が、中国のそれとまったく異なった、なにかしら不思議な引力をもっていたことが、再訪を促したようだ。

上海の航空会社のオフィスで、日本への直行便の切符が買えず、すったもんだのあげくようやく数日後の香港行きを手にいれたのだが、おもえば、この中国旅行は“すったもんだ”に終始した、といってもいいすぎではなかった。一例をあげよう。ホテルに泊まろうとする。中国では、我々個人旅行者は基本的に予約を入れることは難しい。そこで、重い荷物をまるごと抱えてフロントヘ行く。「今夜泊まりたいんですが、空いてますか。」「没有(メイヨウーないよ!)」と仏頂面の服務員(レセプショニスト)がたったひとこと。中国にかぎらず社会主義国を旅行したことのある方なら一度は経験があろうが、彼らはあくまで仏頂面だ。私たちはここで仏頂面に怯んだり、あきらめたりしてはいけない。ひたすら仏頂面に頼み込む。ふつう、30分もすれば、仏頂面の固い唇が緩み、「1泊ならある」ということになり、ようやく安堵がおとずれる。まずは1泊しかできない。私の中国での毎朝は、多く、こうして費やされたのだった。とくに上海は、慢性的なホテル不足に悩まされているらしく、観光名所としてガイドブックに必ず紹介される蘇州河の橋など、こちらのホテルからあちらのホテルヘと、重荷を抱えて何度往復したことか。私には怨念の風景なのである。一事が万事そうなのだ。タクシーだってそう簡単には乗れない。汽車の切符を買うのでも、1時間も2時間も並んだあげく、またもや「没有」のひとことでかたづけられてしまったり………。私のような貧乏な独り旅は、ただただ“すったもんだ”への対応力と忍耐と憔悴の旅だったのである。香港へと上海空港を飛びたったときのあの言葉に表せない安堵感、あれは私にしかわかるまい。

たった1泊の韓国滞在は、香港発ソウル経由大阪行きのソウルー大阪間が満席のために余儀なくされたのだが、金浦空港のインフォメーションの女性のにこやかな応対、それが職業上のにこやかさだとわかってはいても、そのときの私には、ちょっとおおげさだが、地獄に仏だったのだ。

今回の韓国旅行はなにも、女性のにこやかさにひかれたからではない。

わずか1泊、実質的には、十数時間体験しただけにすぎないソウルの印象が、なにか深くなつかしい印象を私に植えつけたからだろう。私の少年時代の記憶の中心は、ちょうど、東京オリンピックから万国博覧会の間に重なるが、私にとってもすこしうつくしくなりはじめたその時代とソウルの印象がなぜか二重写しになったからかもしれない。

50歳前後であっただろうか、たいへん日本語の流暢な観光ガイドのアジュマ(おばさん)の語るところでは、いまの韓国はちょうど昭和30〜40年代の日本といったところらしい。とすると、私の“うつくしくなりはじめた時代”とピックリくるわけだ。

(三重県立美術館学芸員)

友の会だより no.14, 1987.3.10

中谷伸生「冬のソウルを歩く
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