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美術館 > 刊行物 > 友の会だより > 1984 > 冬のソウルを歩く 中谷伸生 友の会だより no.14, 1987.3.10

冬のソウルを歩く

中谷伸生

昨年の暮、同僚の山口君と一緒に出かけた韓国旅行は、短期間であったとはいえ、私は、恥ずかしながら、これまでまったく無知であった隣りの国に対して、眼を開かされる思いがした。しばしば、ソウルの街は数十年前の日本を想起させる、といわれるが、確かに、今回の旅行でこの印象を脳裏に強く焼き付けると同時に、現在の日本にもっともよく似た外国という感想を抱くにいたった。たとえば、ソウル市内の喫茶店であるが、室内の印象からいって、昭和30年代の日本のそれを思い出させる。私は子供の頃、昼食も要らないほどのコーヒー好きの父親に連れられて、よく大阪の繁華街にある喫茶店へ出かけたものだ。ハイカラ趣味でおしゃれ、しかも少々キザな父(私が通常ダサイ格好をしているのは、こうした父に対する反発でもある)が、私にホット・ミルクを飲ませておいて、自分はその頃流行の白くて分厚いカップでコーヒーをすすっていた。テンポの遅い音楽が流れる中、薄暗くて少々寂れた感じのする昔の喫茶店の雰囲気は、なぜか忘れがたいものである。ソウルに行って、この印象が鮮やかに蘇った。

ヨーロッパを旅行するとき、いやが上にも思い知らされる異文化との衝突あるいは摩接の感じ、いわゆるカルチャー・ショックであるが、これは韓国を歩いていてあまり感じない。ハングル文字の洪水と形容すべきソウルの街も、日本人と見分けのつかない顔つきをした群衆とすれ違うと、外国に来たという気持ちが薄れてしまう。しかも、言葉が通じなくとも、眼と眼ですぐに理解しあえる同じアジア人の血が、異国を感じさせないのである。実際、私は韓国を旅行していて、黙ってさえいれば、日本人と見抜かれたことがなかった。これは心理的に大変気楽なことであった。ともかく、異国と感じない異国、というのが韓国、とりわけソウルの印象である。

日本へ帰る最後の日に、ソウルの国立中央博物舘に見学に出かけ、駆け足で膨大な量の作品群を鑑賞したが、このときばかりは、さすがに朝鮮の芸術と日本のそれとの違いがくっきりと浮き彫りになる感じがした。要するに、アジア大陸の文化は、朝鮮にいたって、もっとも洗練されたのではなかろうか。この洗練、繊細、緻密の極みとしかいいようのない朝鮮の絵画、彫刻、工芸などと比較すれば、日本の美術作品は、かなり繊細ではあるにしても、遥かに大味で、ひねくれている。仏教文化の中心地、慶州への旅をも含めて、日本文化と朝鮮文化との差異を改めて実地に確認しえたことは、今回の旅行の最大の成果であるといえようか。

ディスコ好きの私が、同行の山口君に気を遣って、イテオン通りにある、ディスコ店の表の看板だけを横目に見て、後ろ髪を引かれる思いで日本に帰らざるを得なかったことだけが、若干の心残りであった。

(三重県立美術館学芸課長)

友の会だより no.14, 1987.3.10

山口泰弘「再び、ソウルへ
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