ドイツでの研修を終えて
森本 孝
昭和60年10月下旬から約2ヶ月、ドイツ文化センターの招待でベルリンを中心とした海外研修の機会を得た。まずフランクフルトに着き、ハイデルベルグ等ライン川河畔の、絵はがきやパンフレットで紹介されたものとまったく同じ風景、並と樹木とライン川が美しく調和した風景に接し、ベルリンに向かった。
第2次世界大戦敗戦によって西と東に分けられたドイツの、敗戦までの首都であり、現在では東ドイツのなかにあって、ぽっかり浮かぶ孤島のような西ベルリンであり、アメリカとイギリスとフランスによって統治されている一都市であるが、「ベルリンを見るまでドイツを見たと思うな」といわれるように、ドイツ人の心の中では今でもベルリンは首都であり、この国の文化・経済等の中心としての役割を担っている。ベルリンに対するまず最初の印象は、「限りなく大きく、凍える程寒い」であった。
全くドイツ語を勉強したことがない私が、予備知識もはとんどゼロに等しい状況で、よく一人で無事に過ごせたものだと思う。片言の英語とドイツ語、独和・和独辞典と五ヵ国会話集を常時ポケットに入れ、「ここは度胸あるのみ」という心境で体当り。
午前中はドイツ語の勉強、午後は美術館・博物館あるいは大学、研究所を訪問し、夜は大学教授等の招待を受けたり、コンサート・オペラ・映画鑑賞とけっこう多忙な毎日を過ごしていた。その他、グルンドシュウレ(小学校)、ギムナジウム(中学校・高等学校)、そして子供たちを対象に美術館や博物館がテーマを定めて実施している美術教室も見学させていただいた。
シュパイゼンカルテ(メニューのこと、ドイツ語でメニューは定食の意味になる)を見てもどんな料理であるのかさっぱり理解できない状況にあった私も、3週間が過ぎた頃にはポケットから辞典と会話集がなくなり、平気で誰彼なく話しかけることができる程ずうずうしくなっていた。ドイツ人は自分の言いたいことをずばり言う。したいこと、してほしいことをはっきり言う。だからこれはドイツの風土に馴染んだ結果であると自分勝手に解釈していた。
市街で美術館のことをたずねると、その美術館がどういう美術館であるのかよく知っていることに驚かされる。ドイツでは美術館にでかけることは特別のことではなく、自分の住む都市にある美術館についてよく理解していることが常識であるという。幼時から父母に連れられ、興味を持てば美術館が実施する美術教室に参加し、学校ではベルリン市内にある作品で構成された美術の副読本を使い、必要があれば学年単位で見学に出かけている。また、美術舘、コンサート、オペラにでかけることがレジャーであるという。美術館はドイツでは身近な存在となっているが、それは長い年月を経たドイツの美術館・博物館ならではなのだろう。
この研修の機会に、ドイツ国内にある数多くの美術館等を訪問することができたが、そのなかでも次の美術館等は機会があれば、行かれることをお勧めしたい美術館・博物館である。
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フランクフルト(FRANKFURT AM MAIN)
STÄDELSCHES KUNSTINSTITUT UNDSTÄDTISCHE GALERIE
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ベルリン(BERLIN)
NEUE NATIONAGALERIE
ÄGYPTISCHES MUSEUM
BRÖHAN_MUSEUM
ANTIKENMUSEUM
MUSEUM IN DAHLEM
BRÜCKE_MUSEUM
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ミュンヘン(MÜNCHEN)
ALTE PINAKOTHEK
NEUE PINAKOTHEK
SCHACK_GALERIE
STAATSGALERIE MODERNER KUNST
STÄDTISCHE GALERIE IM LENBACHHAUS
MUSEUM VILLA STUCK
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シュトゥットガルト(STUTTGART)
STAATSGALERIE STUTTGART
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ケルン(KÖLN)
ROMISCH_GERMANISCHES MUSEUM
MUSEUM FÖR OSTASIATISCHE KUNST
WALLRAF_RICHARTZ_MUSEUM/MUSEUM LUDWIG
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メンヘングラドバッハ(MÖNCHENGLADBACH)
STÄDTISCHES MUSEUM ABTEIBERG
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デュッセルドルフ(DÜSSELDORF)
KUNSTMUSEUM
STÄDTISCHE KUNSTHALLE
友の会だより no.11, 1986.3.20