美術館のコレクション(2018年度常設展示第3期)作品リスト
2018年9月26日(水)ー12月24日(月・祝)第1室:近代の洋画―フランスと日本
作家横光利一は、1936年に東京日日新聞、大阪朝日新聞の特派員としてフランスに渡りました。半年におよぶ洋行の間に、横光は次々と紀行文を執筆し、翌年には渡欧経験をもとにした小説「旅愁」の新聞連載を始めます。同時代のフランスを舞台とする同作では、フランスに遊学した日本人青年たちが西欧の思想、文明に直面し、葛藤する姿が描かれました。同作において問われる「日本人として、いかに西欧に向き合うべきか」という問題は、まさにこの時代の洋画家にも共通する課題でありました。大正昭和期には、多くの日本人画家がフランスに赴き、現地の画家に師事して、また美術館を巡って研鑽を積んでいます。日本というアジアの島国を飛び出し、フランスという美術の「本場」で制作するという経験は、大きな刺激となった一方、帰国後の画家を悩ませたのは、日本人として、日本で油彩画を描く意味とはなにか、という問いでした。
留学中にセザンヌに傾倒した安井曾太郎は、帰国後に油彩で日本の風物を描くことの困難に直面し、ルノワールに師事した梅原龍三郎は、帰国後、フランスの模倣にとどまっている日本洋画壇に失望を述べています。独自の様式を模索した彼らは、後に昭和洋画壇において「梅原・安井時代」と呼ばれる一つの時代を築くことになりました。また、フランス美術の支配からの独立を唱え、フォーヴィスムの様式に日本伝統の障壁画や南画のイメージを重ねた児島善三郎も、この問題に取り組んだ洋画家の一人です。
この部屋では、フランスで活躍した画家の作品とともに、日本人画家の渡仏期、そして独自の表現を追求した帰国後の作品をご紹介します。
作者名 | 作品名 | 制作年 | 技法・素材 | 寸法(㎝) | 寄贈 |
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オーギュスト・ルノワール | 青い服を着た若い女 | 1876年頃 | 油彩・キャンヴァス | 42.9×31.0 | |
クロード・モネ | 橋から見たアルジャントゥイユの泊地 | 1874年 | 油彩・キャンヴァス | 62.0×81.0 | |
マルク・シャガール | 枝 | 1956-62年 | 油彩・キャンヴァス | 150×120 | |
ラウル・デュフィ | 裸婦立像 | 1928年 | 油彩・キャンヴァス | 62.0×52.0 | 寄託 |
モーリス・ド・ヴラマンク | 風景 | 1930年頃 | 油彩・キャンヴァス | 54.0×52.0 | 寄託 |
オディロン・ルドン | アレゴリー-太陽によって赤く染められたのではない赤い木 | 1905年 | 油彩・キャンヴァス | 46×35.5 | |
小林万吾 | 舟(モネの模写) | 1913年 | 油彩・板 | 23.0×31.3 | |
正宗得三郎 | ヴェトイユの春 | 1914年 | 油彩・キャンヴァス | 62.0×80.5 | |
正宗得三郎 | ノートルダムよりマルセーユの市街湾港を望む | 制作年不詳 | 鉛筆、水彩・紙 | 17.1×11.7 | |
榊原一廣 | 西洋風景 | 1921年 | 水彩・紙 | 24.9×34.7 | |
榊原一廣滞欧期資料 | 1920-22年頃 | ||||
山田新一 | 婦人像 | 1929年頃 | 油彩・キャンヴァス | 65.2×80.3 | |
安井曾太郎 | 裸婦 | 1910年頃 | 油彩・キャンヴァス | 60.6×50.0 | |
坂本繁二郎 | 仏国ヴァンヌ風景 | 1923年 | 油彩・キャンヴァス | 33.0×41.0 | 寄託 |
福沢一郎 | 劇の一幕(コメディー・フランセーズ) | 1927年 | 油彩・キャンヴァス | 88.0×114 | |
前田寛治 | 風景 | 1924年 | 油彩・キャンヴァス | 50.0×72.8 | |
向井潤吉 | 衣を脱ぐ女 | 1933年 | 油彩・キャンヴァス | 80.3×65.2 | |
荻須高徳 | アンジュ河岸・パリ | 1936年 | 油彩・キャンヴァス | 59.5×72.0 | |
安井曾太郎 | 少女 | 1953年 | 水彩、鉛筆・紙 | 30.3×22.8 | |
梅原龍三郎 | 山荘夏日 | 1933年 | 油彩・キャンヴァス | 62.6×77.8 | |
児島善三郎 | 箱根 | 1938年 | 油彩・キャンヴァス | 131×163 | |
満谷国四郎 | 雪景 | 1923年 | 油彩・キャンヴァス | 37.8×45.6 | 寄託 |
川口軌外 | 作品 | 1951年 | 油彩・キャンヴァス | 111×145 | |
森芳雄 | 大根など | 1942年 | 油彩・キャンヴァス | 72.7×60.6 | |
藤島武二 | 日の出(伊勢朝熊山よりの眺望) | 1930年 | 油彩・キャンヴァス | 38.0×45.6 |
第2室:土は生きている
ツチ、つち、土。一にも土、二にも土、三にも土。
陶工の生活は土にあけて土にくれる。土の生活である。私は土を食って生きている。
まるで、みみずのように…。
あこがれた土、いとしい土、思い出の土、土こそ私のいのちだ。土を離れて私というものはあり得ない。私が生きているのは土あるがためだ。
加藤唐九郎「土は生きている」『やきもの随筆』1962年
中国古代の創世神話によれば、人類の始まりは土と泥だったといいます。女媧という女神が黄土をこね、丁寧に作った人形が貴人に、泥の飛沫が凡人になりました。土から万物を生む創造主の姿は、世界各地の創世神話に説かれ、土は人や世界があらわれる以前の混沌を象徴し、創造主によって初めて命を吹き込まれる存在として語られます。
批評家宇佐見英治は、この創造主の姿を、土を掘り、作陶する陶工に重ねました。宇佐見によれば、掘るということは大地の表皮を剥がし、大地が隠蔽しているものを明るみに出すこと。作陶することは土に形を与え、土を人間に隷属させることです。
対して、陶芸家加藤唐九郎にとっては、土こそが創造の源。加藤は優れた焼きものとは土の個性をよく活かしたものだといい、その制作活動の大半を土探しに費やしました。よりよい土を求めて山をかけずり、泥を嘗める自らの姿を、土なくては生きられない「みみず」にたとえます。
みみずと創造主、どちらも陶工をあらわした言葉ですが、その土との向き合い方は対照的です。この部屋では、コレクションの中から土にまつわる作品を集めました。陶芸家、彫刻家、そして画家や書家がどのように土をあらわしているのか、ご注目ください。
作者名 | 作品名 | 制作年 | 技法・素材 | 寸法(㎝) | 寄贈 |
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片山義郎 | 恋人たち | 制作年不詳 | テラコッタ | H18.0cm | |
片山義郎 | 恋人たち 試作 | 制作年不詳 | 粘土 | H11.0cm | |
建畠覚造 | テラコッタC | 1954年 | テラコッタ | 16×16.5×13 | |
八木一夫 | みんなさかさま | 1968年 | 磁器 | H32.0×26.2×8.5 | |
辻晉堂 | 新井孚鮮像 | 1949年 | 陶土 | H25 | |
新井謹也 | 呉須絵草花文花瓶 | 1935年 | 磁器 | H18.4, T.D10.0, M.D18.3 | |
新井謹也 | 呉須絵四方文花瓶 | 1940年頃 | 陶器 | H31.5, M.D7.5 | |
新井昌夫 | 菓子鉢 | 制作年不詳 | 陶器 | H6.5, M.D25.0 | |
楠部彌弌 | 彩埏花宴花瓶 | 1981年 | 磁器 | H25.0, T.D9.0, B.D12.2 | |
楠部彌弌 | 申置物 | 制作年不詳 | 陶器 | H14.0×W10.5×D11.0 | |
辻晉堂 | ポケット地平線 | 1965年 | 陶板 | H26.5×W93.0×D13.5 | |
榊莫山 | 土 | 制作年不詳 | 絹本 | 44.0×46.0 | |
榊莫山 | 行 | 1985年 | 陶板 | 9.5×9.0 | |
榊莫山 | 母情 | 1985年 | 陶板 | 径10.0 | |
榊莫山 | 青 | 制作年不詳 | 陶板 | 最大径25.5 | |
北川民治 | 瀬戸十景 | 1937年 | 木版・紙 | 9.0×12.7など | |
中谷泰 | 陶土 | 1958年 | 油彩・キャンヴァス | 112×146 | |
中谷泰 | 陶工 | 1958年 | 油彩・キャンヴァス | 72.8×53.0 | |
中谷泰 | 陶工 | 1955年 | 鉛筆・紙 | 35.5×24.5 | |
清水登之 | 風景 | 1921年 | 油彩・キャンヴァス | 48.6×58.9 |
第3室:戦後の日本美術
作者名 | 作品名 | 制作年 | 技法・素材 | 寸法(㎝) | 寄贈 |
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麻生三郎 | 子供 | 1965年 | 水彩・紙 | 33.0×24.0 | |
麻生三郎 | 母子のいる風景 | 1954年 | 油彩・キャンバス | 97.0×146 | |
麻生三郎 | 荒川B | 1954年 | コンテ・紙 | 26.5×35.5 | |
中谷泰 | 農民の顔 | 1954年 | 油彩・キャンヴァス | 40.5×60.5 | |
中谷泰 | 農民の顔 | 1954年 | 鉛筆・紙 | 43.5×34.5 | |
福井良之助 | 裸婦 | 1964年 | 孔版・紙 | 35.6×12.2 | |
森芳雄 | 女 | 1952年 | 油彩・キャンヴァス | 41.4×32.1 | |
桂ゆき | 作品 | 1958年 | 油彩・キャンヴァス | 120×82.0 | |
香月泰男 | 芒原 | 1968年 | 油彩・キャンヴァス | 91.1×60.7 | |
尾藤豊 | 馬 | 1959年 | 油彩・キャンヴァス | 132×180 | |
鶴岡政男 | 黒い行列 | 1952年 | 油彩・キャンヴァス | 130×97.0 | |
鶴岡政男 | しめる | 1967年 | 油彩・キャンヴァス | 162×113 | |
石井茂雄 | 不詳(英雄たちの記念碑) | 1958年 | エッチング、アクアチント・紙 | 29.5×19.8 | |
石井茂雄 | 不詳(からみあう線) | 1958年 | エッチング、アクアチント・紙 | 24.6×36.2 | |
石井茂雄 | タレントたちB | 1960年 | エッチング、アクアチント・紙 | 25.8×41.3 | |
池田龍雄 | 「目撃者」化物の系譜 | 1955年 | 水彩、インク、コンテ・紙 | 37.0×28.0×7.0 | |
浜田知明 | 頭 | 1952年 | エッチング、アクアチント・アルシュ紙 | 17.1×10.9 | |
浜田知明 | 疑惑 | 1957年 | エッチング、アクアチント・アルシュ紙 | 27.5×17.5 | |
恩地孝四郎 | アレゴリーNo.2 廃墟 | 1948年(1988年再刷) | 木版・紙 | 51.5×42.0 | |
北岡文雄 | 大車の旅 連山関から奉天に向う | 1947年 | 木版・紙 | 24.5×21.5 | |
北岡文雄 | 母と子 連山関から奉天に向う | 1947年 | 木版・紙 | 27.5×19.5 | |
北岡文雄 | 足を洗う 奉天収容所にて | 1947年 | 木版・紙 | 27.5×19.5 | |
北岡文雄 | 新しい寡婦 奉天収容所にて | 1947年 | 木版・紙 | 19.5×17.0 | |
北岡文雄 | 水 連山関を越える山中にて | 1947年 | 木版・紙 | 27.5×19.5 | |
上野誠 | 死(原爆の長崎) | 1962年 | 木版・紙 | 8.8×13.9 | |
上野誠 | 火の中 | 1962年 | 木版・紙 | 10.5×10.3 | |
向井良吉 | 発掘した言葉 | 1958年 | ブロンズ | H53.0×W32.0×D30.0 | |
佐藤忠良 | 群馬の人 | 1952年 | ブロンズ | 29.5×19.0×24.0 |